銀乃 川太郎 |
今から数年前、日本人は”ポリフェノール”と言う名前に翻弄されていた。健康に良い成分であり、赤ワインに多く含まれているということで、猫も杓子もワインだ、ワインだと浮かれ出し、1997年頃から1999年頃にかけて空前のワインブームを巻き起こした。 それまで飲んでいたビールや焼酎を止め、ワインを飲始めた愛飲家が増えた。しかしその後、ポリフェノールはワインだけではなく他の色々な食品に入っていることが分かると、それでは無理してワインに変える事もなかろうと、それまで長年飲みなれたビールや焼酎に戻ってしまい、あっという間に国中を風靡したワイン・ブームは、あっという間に消えてしまった。この頃は、日本中の酒量販、スーパーマーケット、デパートの酒売り場などには世界中のワインが溢れだし、それまで殆ど人気のなかった、オーストラリアや南アフリカ、米国など、”英語ラベル”の、いわゆる新世界のワインといわれるものまでが日本で華を開いた。ある商社のワイン輸入担当の人から「日本人の自称ワイン通と言う人達は、ワインはラベルの文字がフランス語かイタリヤ語、ドイツ語でないと一流品じゃないと言った風潮があるので、スペイン語でも肩身が狭い」と言う話を聞いたことがある。 その格落ちのワインでも横浜に着いたその夜のうちに、運び出されてしまうほど需要があった。 ラテン・アメリカ諸国では自国でワインを醸造している国はたくさんある。しかし、なんと言ってもアルゼンチンとチリは、歴史、ボデーガ(スペイン語で醸造業者のこと、フランス・ワインのシャトウと同じ)の数、生産量、品質などの点において横綱である。堂々と世界市場で競争できるのは、この両国だけである。ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、ペルーなどで飲む高級ワインは、殆どがどちらかの国から輸入したものである。ブームの頃は日本へもアルゼンチン・ワインが続々と輸入され、ワインを売っている所を通る時、ここにはどんな銘柄があるのかなと、懐かしいラベルを求めて立ち寄って見るのが楽しみであった。当時はアルゼンチンのボデーガは大小合わせて数千社あり、販路拡張にそれぞれが知恵を絞って輸出を競っていた。当時チリには法律的に認められる条件に満たない 中小ボデーガが多く、一流の醸造業者は16社しかなかった。アルゼンチンは、2000年に入り日本のワインブームが去ったのとほぼ時期を同じくして国内の経済状態が悪化し、倒産や合併が合い次ぎ、日本への輸出が殆ど止まってしまった。それに反してチリは、中小のボデーガが低価格の大衆ワインを主力に輸出攻勢をかけてきたため、それまで余り知られていなかった銘柄も見かけられるようになり、さらには、有名ボデーガも大衆的な新銘柄を創り出したので、今までなかった新種がたくさん見られるようになった。2003年以降は、日本のワイン市場における南米ワインは、チリ・ワインの独壇場の感がある。私は南米ワインの大フアンとして、世界に誇るアルゼンチン・ワインの一日も早い復活を、心から強く望んでいる。そのせいではないが、心なしか2008年ごろからまた、アルゼンチン物にお目にかかれるようになってきた。このページでは、ブーム当時から今までに、日本で売られていたアルゼンチン・ワインを中心にした南米ワインのラベルを披露し、愛好家の方々の記憶を蘇へらせたいと願っている。昨今ではもう幻にしか過ぎない銘柄もあるのではないかと思う。なお、ここの紹介していないエティケッタ(ラベル)まだ沢山あるので、いずれ紹介するつもりである。 |
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