ブエノス・アイレスは南緯34度34分、西経58度25分で東京のほぼ正反対の位置にある。透明な地球儀で反対側を見るとアルゼンチンの背中が見える。タンゴの生まれたこの街は古くから”南米のパリ”と言われてきた。この言葉はブエノス・アイレスを表現するときの枕言葉のようなものであるが、今では古い建物の外側の壁面だけを残し、内側を新しくした建物が多いパリよりも、内も外も90年前の正真正銘の、第一次世界大戦当時のパリである。ヨーロッパの食糧庫として疲弊した北半球へ大量の小麦や肉などを運び、帰りの船には石材を始めとする建築資材を船腹一杯に運んできた。それが今のビルや道路を埋める石畳になった。ブエノス・アイレス市の東北部一帯を占めるミクロ・セントロと呼ばれる政治経済文化の中心地に建つ、余り高くはないが、どっしりとした威厳のある建物は、様式は知らないがその外観は芸術的にも学術的にも調和のとれた見事な美しさを誇っている。
舗道にプラタナスの落葉が積もり出す4月、5月、これらの建物がラ・プラタ川に沈む夕日を受けて赤く染まる頃、ポルテーニャはミンクに似たヌートリアのコートにアルパカの帽子をかぶり、ダブルのスーツにソフト帽の紳士と腕を組んで下町に繰り出して行った。最近は、また、こういった光景が、そこここで見られるようになった。20世紀後半の30年ばかりの間だけでインフレ、労働争議、国営企業の民営化、マルビーナス戦争、そして外債のデフォルトと、幾多の社会的危機に見舞われたアルゼンチンに、漸く落ち着いた季節がきたように見える。資源大国が欧米に頼らないで生きて行くようになってきたのであろう。この写真展は、今のその時期の、活気に満ちたブエノス・アイレスの市内を紹介するものである。(写真:鳥山妙子) |