《中南米における地震・火山爆発の記録  20世紀以降の主なもの。
                                        ★茶色は南米  ★緑色は中米  ★青はカリブ海  ★火山爆発

              (初版作成:2013.10.15/11.12/ 2016..11.27/2017.10.10/2023.8.19)update)
★ 1900年代
1900.10.29  ベネスエラ  M7.7
1902.4.18   グアテマラ   M7.7
1906.1.31   エクアドル   M8.6 死者2000人
1906 .8.17  チリ  バルパライソ沖、 M8.4 死者3800人
1906.9.28  エクアドル  M8.0
1907.1.14  ジャマイカ  震源地キングストン付近、M6.5 死者1000人以上

★ 1910年代
1910. 5 .5  コスタリカ  M6.4 死者700人
1913.11.4  ペルー
  M7.0 死者160人

★ 1920年代
1922.11.11  チリ  M8.5 死者1000人
1928. 6.17  メキシコ  M8.0
1928.12. 1  チリ  M8.0 死者224人

★ 1930年代
1931. 1.15  メキシコ  M7.7 死者110人
1931. 3.31  ニカラグア 
 M6.0 死者1000人
1932. 6. 3  メキシコ  震源地グアダラハラ付近 M8.1 死者44人
1939. 1.25  チリ  中部 M8.3 死者2万8000人

★ 1940年代
1940. 5.24  ペルー  リマ市を直撃した地震、震源地,震度、マグニチュード等不明。
  5月13日(昭和15年)に起こったリマの排日暴動は、日本人理髪業組合内部の同胞相食む醜い抗争が原因であった。その事件から11日目の5月24日、リマ市一帯は大地震に襲われアドベ造りの家は大被害を受け、大勢の死傷者がでた。誰言うともなく、「罪の無い日系人をいじめた天罰だ」との噂が流れ科学的知識に乏しい妄信的カトリック教徒だった一般大衆は、改悛の情を顕わにした。地面が揺れ戸外に飛び出した人々の中には、「私は日本人に何にも悪いことはしませんでした」と手を合わせ、膝まづいて天に絶叫する女達が沢山いたと言うことである。地震が収まってから略奪した品物を日本人の家に返しに行ったペルー人もいたと言われている。この地震は全くの偶然とは言え、高ぶっていたペルー人の反日感情を抑える上で何よりの役割を果たした。まさしく神風だったのだ。
1942 .5.14  ペルー・エクアドル沖  M7.9 死者200人
1942 8.24   ペルー   M8.2 死者20人
1943. 2.22 メキシコ  M7.8 死者10人
1943. 4. 6  チリ  コキンポ沖 M8.2 死者30人
1944.1.15  アルゼンチン  中西部サン・フアン州、 M7.2 死者8000人。
  《余談》 エビータに関わるエピソード:エビータが愛人のインベルト大佐にこの地震の被害者に対する義援金募集のバラエティーショーのを開催するよう説得した。会場で当時のNo.女優リベルタ・ラマルケと話をする背の高いハンサムな将校(ペロン)に目をつけ、リベルタに彼を紹介してくれと頼んだ。その後ルナパルクを抜け出した二人はティグレに車を走らす。翌朝、国防省の車でラジオ・ベルグラーノへ出勤するエビータの姿があった。
1946. 8. 4  ドミニカ共和国  M8.0 死者100人
1946.11.10  ペルー   M7.3 死者1400人
1949. 8. 5  エクアドル M6.8 死者6000人

★ 1950年代
1957. 7.28  メキシコ  M8.0 死者68人

★ 1960年代
1960. 5.21  チリ  M8.1 翌日のチリ地震の前震
1960. 5.22  チリ   チリ太平洋岸で発生。M9.5 死者5900人、現在でも世界最大の地震だと言われている。
  この地震には前震最大M7.5、 M7クラスが5〜6回、本震が9.5、さらに余震M7があった。チリ全土が揺れ死者1743人、負傷者667人を記録。アタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2.7米も沈み込んだ。地球の自由振動の観測に成功し、地震波が地球を3周したことを確認、日本へは発生から22時間後に最大6米の津波が三陸海岸に押し寄せ、142人が死亡し大船渡では5名が死亡した。
1965.3.28  チリ  M7.7 死者400人
1965. 5.3  エルサルバドル  M6.3 死者125人
1966.10.17  ペルー  M8.1 死者125人
1967. . .   ベネスエラ  カラカス近郊 ラオス・パロマ・グランデスやアルタミラ地域のビルが倒壊した。

★ 1970年代
1970. 5.31  ペルー  プレート内の正断層型地震 M7以上。
   リマ北部のアンカシ地方を中心に起きた。州都のウアラス市では45秒間も揺れユンガイの町は両側に連なるアンデスの山々が崩れ、低地にあったユンガイ町は土砂が覆い完全に埋没した。周辺のカラス、マンコス、カルウアスの町村も大被害を受けた。死者は5万人以上と言われ復旧のため国連の呼びかけに応じた世界各国が救援活動を行い、埋まった町の上に新たに道を作ったりする作業が5年間も続けられた。
1972.12.23  ニカラグア  マナグア中心に起きた。M7.7 死者5000人
1973.1.30   メキシコ  M7.5 死者60人
1974.10.3   ペルー   M7.8 震源地ペルー中部。
  日本人移民が最初にペルーに上陸した場所として知られる、カニェテの沖合いの深さ50kの海底で発生した。 関東大震災並の大きい地震で、カニェテの海岸では海水が200メートルも沖合いに引いたということである。又この日はたまたま1968年の軍事革命の6周年記念日だったが、この地震のため式典は中止された。リマ市の古い住宅はアドベ作りのため鉄筋が入ってないので地震に殆ど抵抗できず倒壊家屋が沢山でた。またリマ南方へ30Kの海岸にあるパチャカマック遺跡も太陽の神殿を始多くの城壁が広範囲に渡って崩れ落ちた。 
1976.2.4  グアテマラ  M7.9 死者600人
  震源地は、首都グアテマラシティ北東160kmのモタグア断層で震源の深さは5km。
1979.2    ペルー  中部地震
1979.12.12 エクアドル  M7.9 死者600人

★ 1980年代
1981. 4.  ペルー  東部地震
1981. 6.  ペルー  中部地震  
 《この年は2回も地震が起きた。実は、この前年に米国の地震専門学者が1981年の8月頃ペルー沖でM9.9の大地震が発生する》との予知を発表したため、ペルー海岸地方やチリなどでは一種のパニック状態となり、ペルー政府も米国に確認をもとめた。その結果、それほど正確に予知できるものではないとの結論になったが、この年はペルーで2回、チリで1回、どちらも中規模の地震が起きたことを考えれば、米国の予知は半分当たったようなものだと言うことになり、この年は年末まで両国はかなり不安な日々を送ったと言うことである。》
1985.3. 3   チリ  M7.6 死者179人
1985.5.28  メキシコ  M5.2 下記地震の前震
1985.9.19  メキシコ  M8.1 ラサロ・カルデナス付近のバルサス川河口沖の太平洋、深さ27km、
  メキシコシティを中心に5900人以上が死亡
1985. 9.20  メキシコ 上記地震の余震 M7.5
1985.11.13 コロンビア  (火山爆発)
   ボゴタの北西168kにある西部アンデスのネバド・デル・ルイス火山(5399m)が13日2230(日本時間14日午後0:30)爆発、頂上付近の雪を溶解させ大規模な泥流の洪水が起きた。上空を飛んだパイロットは麓の町アルメロの町は地図から消えたと言った。噴火としては今世紀最大のものとなった。
1986.4.30  メキシコ  M7  1985.9.19の地震の余震と言われる
1986.10.10  エル・サルバドル  10日午前11時50分(日本時間11日午前2時50分) M5.4 
  震源はサンサルバドルの南東150k、最初の地震のあと14分後に再度M4.5の余震があり、さらに10数回に渡り余震。10階建てビルが崩壊、死者150名以上、負傷者3000〜4000名と言われる。
1987.3.6   エクアドル東部/コロンビア M7.0 死者5000人
1987.9.19  メキシコ  M8.0 震源地はラサロ・カルディナス付近のバルサス河口沖の太平洋 深さ約27km

★ 1990年代
1990.5.29  ペルー   ペルー北東部で29日夜(日本時間30日午前)M6.3。
  余震が20回以上も続く、余震の最大はM5.1、死者200名以上行方不明800人以上、家を失った人々は15000人に達する、震源はエクアドルに近い、モジョンパ付近では死者5万〜8万人をだしたペルー中部の地震の20周年目にあたり、政府は追悼記念行事を準備していた。
1991.4.4   ペルー   4日深夜(日本時間5日午後)ペルー北部で地震が2度あった。
  1度目はM5.5 2度目はM6.2、死者は30人以上負傷者は多数と報道。
1991.4.22  コスタリカ・パナマ  コスタリカとパナマ北部で22日午後3時55分(日本時間23日午前6時55分) M7.4の。 
  震源地はサンホセの東約110kのコスタリカ東部カリブ海沿いのプエルト・リモン周辺。両国で少なくとも死者14名、負傷者数百人。
1992.9.2   ニカラグア  M7.7 地震津波で死者170人
1993.1.14  コロンビア (火山爆発)
  14日午後1時43分(日本時間15日午前2時43分)アンデス山中にある火山ガレラス山が3回にわたって噴火した。火口の周囲で調査をしていた火山学者ら6名が死亡、5人負傷。噴火の煙は上空2500Mに達した。山裾の集落には被害はない。学者らは国際的な火山学会の調査活動中で、地元コロンビアのほか米,英、ロシヤ、日本など15か国から参加、岩の割れ目などに避難して助かった。日本人学者の九州大学理学部の中田節也助手は無事だった。
   《1993.2.15朝日新聞記事》 カリフォルニア大学のグループが南太平洋イースター島の北西1000kの海底で地球上最大規模の活火山郡を発見した。発見したのはケン・マクドナルド海洋物理学教授ら。1992年11月から93年1月中旬まで音波探知機で海底を調査、約14万平方キロの広さの海底に1133の火山を発見、多くは高さが海底から1600m以上あり中には2100mに達するものもあった。この中には何時噴火してもおかしくない山が2〜3ある。海底、地上ともこれほど密集した火山郡は見つかっていない。これらの火山が海面下で同時に10数個も噴火すると言った激しい火山活動が地球規模の気象変動をもたらすエルニーニョ現象を起こす引き金になっていないかどうかに強い関心をよせている。両者は関係ないと見る専門家も多いが、火山郡はエルニーニョ現象が始まる場所に近いので注目している研究者もいる。

1994.6.6  コロンビア   コロンビア南西部で6日夕(日本時間7日午前)M6規模の地震が発生。
  ウイラ州などの山岳地帯で大規模な地滑りが発生、行方不明500人以上、現場はアンデス山脈のネバドデルウイラ山沿いのパエス川流域の一帯この山の冠雪が地震で崩れパエス川に流れ落ち濁流が発生したとの情報もある。
1994..6.8  ボリビア  深発地震 M8.2 死者10人
  2013にオホーツク海深発地震が起きるまでは世界最大級の深発地震だった。
1995.2..8 コロンビア   コロンビア西部で8日午後1時40分(日本時間9日午前3時40分)M6.4の地震が発生。
  震源地はサンタフェデボゴタの西約280k付近。最も被害が大きいのは首都ボゴタから西へ150Kのペレイラという人口30万の町で政府機関ビルが倒壊したりバスが瓦礫の下敷きになったなどの報告がある。ペレイラ市には日本のススキ・コロンビアの本社と工場があり日本人数十人が住んでいるが無事が確認された。
1995.7.30  チリ   アントファガスタ州近郊 M8.3 死者3人。
   震源はアントファガスタ北東40km M7級の余震が30分以内に2回も襲った
1995.10.9  メキシコ  M6.2 死者1000人
1996.3.28  エクアドル  震源地はインディオが住む標高3000mの山岳地帯。
  マグニチュード゙は不明だがかなり大きな地震、死者23名、負傷者468名、倒壊家屋1000戸、家を失った人15000人。
1996.11.12  ペルー   12日正午頃、震源地はリマの南東450k イカ市の南東約100kのナスカ周辺、M7.3。
  死者が少なくとも7名、負傷者約500人。一帯には小さな金鉱山が多く落盤などで約800人の鉱山労働者が閉じ込められたため死傷者の数はさらに増える見込み。。リマ南方500キロのウアンガ鉱山でも落盤があり約300人が閉じ込められた、小規模な鉱山が多く全国鉱山連盟は約800人が閉じ込められたと見ている。
1999.1.25   コロンビア   コロンビア中西部一帯で25日午後1時19分 M6.2の強い地震が発生した。
  倒壊した建物の下敷きになるなどして少なくと250人が死亡、1000人が負傷した。地震の被害が大きかったのは、コーヒー地帯で知られるキンディオ県、リサラルダ県、アルメニアで200人以上、カラルカで30人、ペレイラで23人以上が死んだ。地元ラジオ局は周辺都市部を含め死者は300人に達すると報じている。被害が大きかった地域にはスズキ自動車工場があるが全員が無事が確認。
1999.7 . .   メキシコ   オアハカ州近郊 M7.4 少なくとも死者30人以上 被災者は約25万人

★ 2000年代
2001.1.13  エルサルバドル  13日午前11時35分(日本時間14日午前2時35分)。
  エルサルバドルを中心に広い地域で地震があった。震源はエルサルバドルの東部のサンミグエルの南西約100kの太平洋沿岸沖で、深さ39k M7.6 首都郊外で大規模な地滑りがあり109人が死亡したがさらに増える可能性が高い。隣国グアテマラでも建物が揺れ、メキシコ市内でも揺れた。報道によると強い揺れは30秒くらい続いた。サンサルバドル(人口50万)の郊外にあるラスコリーナス地区、幅100m以上にわたり山の斜面が崩れ一帯の住宅が大量の土砂に埋まった。倒壊家屋は300軒以上にのぼる。
2001.2.13   エルサルバドル   2月13日午前8時20分(日本時間13日午後11時20分)強い地震があった。
  震源地はサンサルバドルの南東約24kでM 6.6、サンサルバドルの東方を中心に家屋の倒壊が広がり少なくとも173人が死亡、1557人が負傷した。同国では先月13日にもM7.6の大地震があり840人以上が死亡した。
2001.6.23  ペルー  23日午後3時半(日本時間24日午前5時半)南部のアイレキーパを中心に強い地震があった。
  震源地アレキーパに近い太平洋沿岸の町オコニャの北西約80k、M7.9 少なくとも47人が死亡、550人以上が負傷した。アレキーパでは崩れた壁の下敷きで22人が死亡、モケグアで16人、タクナでも9人が死亡。その後、津波の被害が広がり、海岸部の被害が相次いだ。家を失った人は46400人、津波の死者は39人、行方不明20人。津波が襲ったアレキーパの西100キロのカマナでは潮が多き引いたため住民は高台へ避難した、轟音と共に3階建ての建物の高さの津波が押し寄せたと言う。
2003.1.22  メキシコ   21日午後8時7分〔日本時間22日午前11時7分〕メキシコ市などで強い地震があった。M7.3。
  震源はメキシコ市から西へ約500k離れたメキシコ南西部にある太平洋岸のコリマ州付近で深さは約30kと推定される。南西部のグアダラハラ、ミチョアカン、メキシコ市など揺れがあり、震源に近いコリマ州マンサニージョでは多くの建物が倒壊した。

2004.9.7   アルゼンチン   カタマルカ州 M6.5
  最近4年間で一番大きい地震だと報道された。(アルゼンチンは地震が殆どないので、最近4年間云々という意味が不明)
《2005.1.18 誤報》 チリ中部沿岸に17日早朝、大津波が来るとの噂が広がり住人12000人が避難する騒ぎがあった。1960年に大地震に襲われた経験と昨年末のスマトラ地震が住民の不安をあをったようだ。騒ぎの原因はサンティアゴから南のタルカウアーノ港近くにいた漁師が引き潮の状況を見て、普段より激しく潮が引いていると感じ津波と早合点して周囲に知らせたため、噂は数時間後には隣町コンセプシオンまで伝わった。68歳の女性がショックで心臓発作を起こして死亡、交通事故も4件おきた。チリでは1960年にM9.5の超大地震が起きて死者行方不明5700人を出し日本にも津波が来た大地震が発生している。
2005.6.13   チリ M7.7 死者11人 2005.6.13  チリ 北部 M7.7 死者11人以上 ペルーやボリビアでも揺れを感じた
2005.10.28  エクアドル (火山爆発)  ガラパゴス諸島で火山が爆発 詳細不明 
2006.8.24   エクアドル  (火山爆発)  キト南方135km  海抜5029米にあるトゥングラグファ火山が爆発、農牧畜業への被害ととも に生態系への被害が懸念された
2007.-.-   メキシコ
2007.3.5  エクアドル 
(火山爆発)  中部のトゥングラグファ火山の爆発
2007.6.14  グアテマラ
  グアテマラ市南西88kmで発生 M5.4 震度4 深刻な被害なし
2007.8.15  ペルー   15日午後6時41分(日本時間16日午前8時41分)ペルーで強い地震が発生。
  震源はリマの南約305Kのイカ付近で、M8.0 死者は少なくとも550人以上、負傷者は1500人以上と見られる。家を失った人は16666人以上になる。アドベ作りの家に被害が集中した。イカでは夕刻のミサ中に教会が崩れ逃げ遅れた人々が多数犠牲になった。20秒程大きな揺があったリマでは人々が路上に飛び出し抱き合ったり泣き出したりしたと言う。
2007.11.14 チリ  第2州で発生 M7.7 (第2州とはサンチアゴより北部)
2007.11.29  カリブ海   カリブ海のマルティニク島で発生 M7.4。
   震源地は島の中心都市フォルドフランスの北北西41km 震源の深さ143km 多数の建物が倒壊した。
2008.1.10  エクアドル (火山爆発)  トゥングラウア火山(5023m)が噴火。
2008.5.24   コロンビア   中部で24日午後(日本時間25日未明)M5.6。
  道路上に崩落した岩の下敷きで6人死亡、震源はボゴタ南東部55キロ,同国中部では99年にM6.2地震あり約1200人が死亡している。
2009.1.8   コスタリカ   M6.1、 1月8日午後1時21分発生 サンホセ近郊の北西40km ボアス火山の東6km
2009.3.14  エクアドル 
 ガラパゴス諸島付近で発生 06:06 M4.8  22:54 M4.7 深さ10km

2009.3.15  エクアドル 
 ガラパゴス諸島付近 03:14 M5.4  23:00 M4.8  深さ10km 
2009 . .   ベネスエラ 
 カラカス近郊で震度3

 2010年代
2010.1.12  ハイティ   午後4時53分発生(日本時間13日午前6時53分) 
  震源地はポルトープランス南西16km(北緯18.5度、西経72.5度) M7.0 深度10km 大統領宮殿も倒壊、多数の建物も倒壊し、下敷きになった死者は10万とも22万とも言われた 電気水道断絶 余震も多かった
2010.2.27  チリ   M8.8 日本など太平洋沿岸各地に津波襲来
2010.5.29  グアテマラ
 (火山爆発) 
  バカヤ火山(2552m)が噴火 記者1名が死亡 住民2000人が避難した 火山灰が上空1500米に上り国際空港は閉鎖されマロン大統領は、非常事態を宣言した。
2010.8.12  エクアドル (火山爆発)  トゥングラウア火山(5023m)が噴火。 
2010.8.27  グアテマラ (火山爆発)  グアテマラ市南方40kmのバカヤ火山(2552m)が噴火
  取材中の記者1名が溶岩により死亡、コロン大統領は周辺に非常事態を宣言、住民約2000人が避難、火山灰は上空1500米に達し、国際空港は閉鎖された。
2010.8.28  エクアドル (火山爆発)  トゥングラウア火山(5023m)が噴火。
2010.-.-  メキシコ
2011.1.2  チリ    テムコ市近くで2日午後5時頃 M7.1。
  死傷者の情報も津波もなく断続的余震が続く。ピニエラ大統領は死者も大きな被害もないので落ち着くようにと呼掛けた。
2011.5.6  メキシコ  朝8:30頃,震度は2位。
  祝日の朝であった。日本のようにテレビ・ラジオなどの地震速報はないので情報はすぐには伝わらない。
2011.6.4  チリ (火山爆発)
  南部アンデス山脈のプジェウエ火山が50年振りに噴火し、火山灰がチリ、アルゼンチン、ウルグアイなど南米大陸南部の広い範囲を覆い、3500人以上が避難した。アルゼンチンやウルグアイの空港が閉鎖され航空便の欠航があいついだ。ロイターによるとリゾート地バリローチェは灰で覆われ住民に屋内二留まるよう呼びかけた変えた。約1300キロ離れたブエノスアイレスにも火山灰が届き空港閉鎖が続き、空の混乱の為ウウルグアイのムヒカ大統領はアルゼンチン訪問をキャンセルした。
2011.8.24  ペルー   米地質調査所によると、ペルー中部で24日  M7.0 の地震が起きた。
  ロイターによると震源はブラジルとの国境付近の密林地帯で被害は確認されていない。震源から約600キロ離れた首都リマでも揺れを感じ携帯電話が一時使えなくなった。
2011.9.15  キューバ  15日16:43 南東部の発生、M4.5
  キューバ人は驚いた、震源はグランマ県のクルス岬南東59kmのカリブ海で深さ約15km、今年に入って8回目と言う。 
2012.3.20  メキシコ   20日正午ごろメキシコ中南部で強い地震があった。米地質調査所によると震源はメキシコ市の南南東約320キロ深さ約20キロで、M7.4、 APによると南部ゲレロ州などで住宅約60棟が倒壊し、他に焼く800棟に被害がでているが死者はいないもよう。現地からの報道によると、メキシコ市では強い揺れが観測され建物にいた人が路上に避難するなどした。震源から西に約180キロ離れたアカプルコでも観光客がレストランから逃げ出すなど混乱が起きた。
2012.3.25  チリ   25日午後6時37分ごろ M7.1の地震があった。米地質調査所によると震源は中部タルカから北北西約27キロの地点で深さ約34キロ、現地からの報道によると女性1人が心臓発作で死亡し、数人が怪我をした。地震の直後津波の恐れに対して避難命令が出たがまもなく解除された。
2012.7.29  グアテマラおよびメキシコ沖  M6.0
  
米国地質研究所が伝えるところによると、 地震は現地時間で朝6時頃に観測された。 震源は、グアテマラの町オコス沖26キロあるいはメキシコの町スチヤテ沖30キロの太平洋で、震源の深さは海底35キロメートル強。津波が起きる危険はない。.
2012.8.22  エクアドル 
(火山爆発) トゥングラウア火山(5023m)が噴火。
2012.8.27   エル・サルバドル  M7.3 
  沖合の太平洋上で27日早朝(日本時間午後1時37分)ごろ、M7.3の地震があったと米当局が発表した。津波も発生したとして中米やメキシコなどに警戒を呼び掛けた。太平洋津波情報センターは震源付近の地域(コスタリカ、ニカラグア、エルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラ、パナマ、メキシコ)に津波注意報を発令した。
2012.9.5    コスタリカ   5日午前8時42分、日本時間午後11時42分、M7.6。
  震源は北西部オハンチャの北東約10 キロの内陸部で深さ約40キロ。米CNNによると太平洋津波警報センターは周辺3か国に津波警報を発した。被害状況は不明。AP通信によると木などが激しく揺れ人々が叫び、学校では生徒が避難した。
2012.11.7   グアテマラ   グアテマラ西部沖で7日午前10時35分(日本時間8日午前1時35分)M7.4の地震があった。
  少なくとも48人が死亡。他にも多数が負傷または行方不明。震源地はメキシコ国境に近いグアテマラ西部チャンペリコの南24キロで深さ41.6キロ。メキシコやエル・サルバドルでも揺れが感じられた。地元報道によるとサンマルコスのほぼ全戸が停電、在グアテマラ日本大使館によると在留邦人は約360人で被害はない模様。
2013.3.26   グアテマラ  M6.2 、26日午前8時2分ごろ(日本時間)
  米国地質調査所(USGS)によると震源は首都グアテマラ市の東南東9.5キロ、震源の深さは約200キロ。
2013.7.16   ペルー   M6.2、 震源はアレキーパの北西85km  深さ84km。
 
2013.7.31  ボリビア  震源はチリとの国境ダニエル・カンポス M4.3

2013.8.2   ボリビア  ポトシ県
  サンクリストバル地震機構の発表によると、震源地はポトシ県のノル・リベス郡内で、午前11:10〜14:46 までに連続3回発生し、マグニチュードはそれぞれ M3.5  M4.3  M4.8
2013.9.2   ペルー (火山爆発) 
 ウビナス火山が噴火。
2013.9.7  グアテマラ  
M6.4、M5.4、M4.1の地震が立て続けに発生。
  米国地質調査所(USGS)によると、M6.4の地震をはじめM5.4、M4.1の地震が立て続けに発生した。 最初に発生したのは7日午前9時13分ごろ(日本時間)、震源はグアテマラの西168kmの太平洋で深さ67km。
2013.9.21  チリ  M5.8 カマラの北東103km 深さ115.3km 被害はない。
2013.9.26  ペルー 
 M7.0  6人が負傷した。
2013.10.14  グアテマラ  M6.2 
  米国地質調査所(USGS)が伝えたところでは、震源は首都グアテマラ市から10キロの地点。人的物的被害に関する情報はない
2014.4.1  チリ  M8.2
  チリ北部で現地時間1日、午後8時46分(日本時間2日午前)大きな地震があった。米地調査所によるとマグニチュードは8.2、震源地はイキーケ沖の北西約95キロで、深さは10キロと比較的浅い。米海洋大気局はの太平洋津波センターはチリ、ペルー、アエクアドル沿岸に津波警報を発令、イキーケで2米超、北に70キロ離れえたピサグアでも2米の津波が観測されたあ。地元紙テルセラは試射5人、負傷者も一部でていると報じている。日本外務省によると震源地に近いチリ北部やペルー南部には日本人在住者が数十人おり、現地の大使館が安否を確認中。イキーケでは空港の航空機の発着が見合わされた。また、地震の混乱の中で刑務所から受刑者約300人が逃走したの情報もある。『日本への津波と到達の可能性』.気象庁は調査中としているが、太平洋の広い範囲で発生する可能性があるとして、今後の情報に注意するよう呼びかけた。2010年2月にチリ中部沿岸で起きたm8.8の地震では大津波警報を発令、発生からおよそ22時間後に根室市に30センチの津波が到達し、更に3時間以上経って岩手県や高知県に1.2mの津波が襲った。

2014.10.13 エル・サルバドル 
 現地時間13日午後9時50分 日本時間14日午後0時50分 M7.3の強い地震があった。霜と報道などによると、震源はエルサルバドル東部ウルスタン県の南64キロの沖合いとみられ、深さ約70キロ。ホンジュラス、グアテマラ、ニカラグア、メキシコなど中米の広い地域でも揺れが記録された。太平洋津波センターはいちじ津波への注意を呼びかけたが、その後注意報を解除した。この地震でエルサルバドルの都市サンミグエルしないで1人が死亡した。

2015.4.24  チリ
 チリ南部のカルプコ山[標高約2000米が22日、43年ぶりに大噴火をおこした。政府は非常事態宣言を発し、半径20キロ圏内の住民に非難命令をだした。行方不明1人、住民訳4000人が避難、近隣の空港は閉鎖された。カルプコ火山はサンチアゴから南へ焼く1000キロ、噴煙は約17000米まであがり、降灰はアルゼンチン2まで達した。

2015.9.17  チリ
 
16日にチリ中部をかなり大きい地震ガ襲った。M8.3 17日までに家屋の倒壊などで12人が死亡。約100万人が津波を警戒して避難した。AP通信によると首都サde
ティアゴの北約450キロの町コキンボでは、高さ4.5米の津波が到来、横転した車は家具などが散乱し、漁船が道路にまで流された。コキンボは震源に近く、被害が深刻だ。これまでに少なくとも約520の家屋が倒壊などの被害を受けている。政府は同日、コキンボに非常事態宣言を発した。


2016.4.16  エクアドル
  16日夜(日本時間17日朝)、エクアドル沿岸部を震源とする強い地震が発生した。地震の規模を示すマグニチュードは7.8。ロイター通信によると犠牲者は約350人にのぼる。震源地はキトの西北西約170キロの沿岸部で、震源の深さは約19キロ。AP通信によると、グラス副大統領は同国で大きな地震があった1979年以降最大の地震だと語った。地元メディアによると、最大都市のグアヤキールを含む沿岸部に近い都市を中心に大きな被害がでており、橋がくずれたり、ショッピングセンターの天井がおちたりしている。じゃ管制塔が被害を受けて閉鎖された空港があるほか、キトーでも停電や断水がおきている。政府は救助や治安維持のため軍隊1万人を動員を決めた。。イタリアを訪れていたコレア大統領は急きょ帰国を決めツイッターで冷静な行動をと国民に呼びかけた。政府は津波の恐れがあるとして、沿岸部の住民に避難を支持。ハワイ・ホノルルの太平洋津波警報センターによると大きな津波の到達はないという。2016.6.18  エクアドル
 米地質調査所によると、エクアドルで18日午前2時57分(日本時間午後4時57分)ごろ、北西部を震源とするM6.7の地震があった。震源の深さは32キロ。AP通信によると津波警報は出ておらず、大きな被害の報告はないというえくあどるでは4月16日にもM7.8の地震ンがあり、西部を中心に661人の死者がでた、3万人近い人々が避難生活を続けている。

2016.11.24  エル・サルバドール
 中米エル・ッサルバドールで24日午後0時43分(日本時間25日午前3時43分)、M7.0の強い地震があった。AP通信や地元報道などにおると、震源は同国のプエルト・トリウンフォの南南西149キロの沖合とみられ、深さ約10.3キロ。ニカラグア、コスタ・リカでも強い揺れが記録された。米ハワイの太平洋津波警報センターは一時最大1メートルの津波の注意報をだしたが、その後解除した。この地震での被害は報告されていない。

2017.9.7  メキシコ
 9月7日午後11時49分(日本時間8日午後1時49分)ごろ、メキシコ南部沖の太平洋と震源とする強い地震があった。米地質調査所(USGS)によると、地震の規模はマグニチュード8.1、震源の深さは約70キロ。ロイター通信は少なくとも32人が死亡と伝えた。建物が倒れて多数が生き埋めになっている模様。同国のペニャニエット大統領はメキシコではこの100年で最も大きな地震だと語った。地元メディアは、オアハカ州フチタン中心部の広場周辺で市庁舎を含む半数ほどの建物が倒壊したと伝えている。この地震で、世界遺産である同国南部オアハカの古代遺跡モンテ・アルバンで石の建造物の一部が崩れた、今後専門家詳しくちょうする。発生から一夜明けた現地では次第に被害状況があきらかになっている。日本時間9日午後1時までに死者は61人に上っており、さらに増える恐れがあある。USGSの研究者は被害規模について、「現地のインフラや人口密度、地震の種類、過去のデータなどを総合して死者は1000人から1万人、経済損失は10億ドル~100億ドル(約1100億円~1兆1千億円)に上る可能性があると話している。

2017.9.19  メキシコ
 9月19日午後1時14分(日本時間20日午前3時14分)ごろ、中部蘇震源とする強い地震があった。米地質調査所(USGS)によると、マグニチュートは7.1で、震源の深さは約51キロ。AP通信によるとメキシコ政府は少なくとも225人の死者を確認した。メキシコでは今月7日にもM8.1
の地震があったばかり。今回は首都メキシコ市の都市圏を直撃、市内の小学校では多くの子供達が生き埋めになり救助が世通し行われた。この日は、同じく首都を襲って1万人以上の死者をだした32年前の1985年の節目の年になる。大規模な避難訓練が終わったあと本物の地震が来てビルが倒壊し、学校にも深刻な被害をもたらした。


2019年5月26日 ペルー地震 Mw8.0、死者2人。

★ 2020年代
2021年 7月28日 アラスカ半島沖で地震 Mw8.2。
    
 8月12日 英領サウスサンドウィッチ諸島で地震(英語版) Mw8.1。
     
8月14日 ハイチ地震  Mw7.2、死者2,207人。 


  お読みいただき有難う御座いました。昔から日本は地震国といわれてきましたが、こうして見ると中米の細い地峡と南米の太平洋岸の方がずっと地震が多いことがお分かり頂だけたと思います。その割に地震の対策や研究はそれほど進んでいないのではないでしょうか、その証拠に何時までたってもアドベの家がなくなりません。勿論経済的理由が大きいとは思いますが住民には気の毒な限りです。なお、この記録は今後も続きますので、時々は開いて見て下さい。
  記録にはウイキペディア、ブエノスアイレス・クラリン紙、ナシオン紙、日本の新聞その他の資料を参考にしています

         
 
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