ラテン・アメリカ雑感  (2)
   チリの大地震がもたらすグルメにはちと心配な話      


  今年に入ってラテン・アメリカでは天災・事件が多い。1月早々に起きたハイチ大地震を皮切りに、マチュピチュで観光客が立ち往生した豪雨災害、2月末にぴったり50年ぶりに起きたチリのM8.8の超大地震、ボリビア中部で広がった記録的な大洪水、アルゼンチン北部の広い範囲で起きた川の氾濫などなど、南半球の自然災害は大変なものである。さらには天災ではないが、4月にはメキシコ湾で海底油田のパイプが折れて大量の原油が海上に溢れ出し,初夏になっても噴出を止めることができず、オバマ大統領の人気もの陰りが出てきた。さらにはマルビーナス諸島(フォークランド)周辺での石油開発をめぐり、28年振りにアルゼンチンと英国の緊張が高まってきた。しかし、世界中では次から次と新しいニュースの話題が起きており、地震の話しもいつの間にか殆ど消えてしまった。貧困に喘ぐハイチの復興は国連や先進国のNPOなどに任せざるを得ないのに対し、チリは自力回復ができる。建物にしても都会のビルも地方のインディヘナの家々も、ちゃんと耐震構造になっているし、地震大国らしき備えができている。これも1960年のM9.55の大地震の教訓であろう。
  先日の地震の震源地は、南緯37度のほぼ真上に位置する海岸の町コンセプシオンの沖合だ。私は2002年の3月、プエルト・モンからサンティアゴまで約1000キロをバスに乗り、この近くを通った。バスの走る国道5号線は鉄道と並行して走っているが、右側の車窓から見える風景は、見上げるばかりのアンデスの麓の緩やかな傾斜地に広がるワイン畑と、そよ風に揺れるユーカリとポプラの並木である。ポプラの葉は表の緑と裏の白色が対照的で、遠くから風に揺れるのを見ると、あたかも湖沼の水面に立つさざ波を思わせる。
  地震の日本に対する影響は津波だけではない。まずワインがそうである。チリのワイン畑は南緯30度から40度くらい、ちょうどサンティアゴの北からプエルト・モンの北辺りまでで、人口も多くチリの一番豊かな地域である。ワイン畑が受けた影響は大きかったと思うが、チリ・ワインの大手輸入業者に聞くと、輸入は正常に行われているというので、一応安心はしている。
  ところが、ワイン以上に問題を呈するかもしれないのが”鮭”である。今の日本ではどこのスーパーでもデパートでも、魚を売っている処ではチリ産の鮭を売っていないところはない。世界の鮭の漁獲高第一はノルウエーで39.6%、そして第二位がチリで37.2%を占めている。日本の鮭の輸入量は2008年が25万トンで、このうちチリからが16万トンもあった。これほど日本とチリは鮭を介して切っても切れない縁ができている。しかし、ここまでの関係ができるまでには日本のJICA(国際協力事業団)の並々ならぬ苦労があった。
  1972年初め頃からJICAは、南北は逆だが日本と緯度がほぼ同じ、自然環境もよく似たチリ南部のフィヨルド地帯で鮭の養殖試験を始めた。初めは簡単に考えていたようだが、実際に始めてみると動物の本能の厳しさに打ちひしがれた。緯度は同じようでも、北半球と南半球は地磁気の影響とかで水の作る渦巻も逆だし、台風の渦も時計回りになるなど、日本とは正反対の自然現象が多い。そのためかどうか、放流した北半球育ちの稚魚が帰ってこないのである。これを17年間も続けたが遂に1989年に至り試験を断念せざるを得なくなった。しかし、この夢のような事業は幸いにもチリ政府に引き継がれ遂に成功した。そして水揚げされた鮭は日本の企業が買取るという貿易形態が出来上がった。
  このように順調に養殖、輸出・輸入が行われてきた日本〜チリ間の”鮭貿易”に今回の大地震によって黄色信号が灯った。理由は稚魚を養殖する池が山間部にあるため、池が破壊されたり、あるいは水流とか水源が変わったりする自然環境の変化が起きて、今後稚魚の養殖ができなくなるのではないかと言う心配である。日本の援助で世界第二位の鮭産出国にのし上がったチリが、これからも良質の鮭を供給してくれることを心から願うものである。
  この他にも、チリからは”うに”の日本の年間総輸入量16000トンのうちの2200トンを輸入している。これは第一位のロシアからの12000トンについで第二位である。今後こんなところにも影響がでてくるのか気になるところである。でも、大西洋における鮪の漁獲禁止が避けられたのだから、”鮭”と”うに”が少々手にはいりにくくなったとしても我慢しないといけないのかもしれない。
  今年はアルゼンチン建国200周年の年で国内は湧いている。最後の内戦(1996.12.29グアテマラ内戦終結)が終わってから平和な理想郷と化していたラテン・アメリカが、自然の脅威におびやかされる落ち着きのない地域に変わっていくのが悲しい思いである。  (2010.6)
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