元来、旅とは、のんびりと、ゆっくりとしたいものである。しかし、外国旅行の場合は、時間的、経済的、健康的な制約、さらには、行き先での言葉の
問題などの理由から、添乗員が案内してくれて、短期間の間に観光ポイントを出来るだけ沢山回れるパック・ツアーで出かける人達が多い。
しかし、アジア諸国や大洋州のような、比較的短距離で時差の少ない国々は別として、南北米にまたがるラテン・アメリカへの旅行となるとそうはいかない。特に日本からは
ちょうど地球の裏側になる南米方面のパック旅行となると、ただただ疲れだけが蓄積し、帰ってから写真を見ても、どこをどうまわったかのか全然思い出せないと言う声を何度も聞いた事がある。
しかし、それも無理はない。南米ハイライト何日間などという旅行は、往復で4日間が飛んでしまい、実際にホテルに
泊まれる日はぐっと少なくなってしまう。しかも、1か所一泊で、トランクを全部開く余裕もなく観光ポイントからポイントへ移動する事が多く、時差ぼけの取れる暇はない。
南米くんだりまでやってくる旅人達は、医者とか、弁護士とか、自営業とかの比較的経済的には余裕のある人達で、今までにもう世界のあちこちを回ってきて、最後に残ったのが南米だと言う人が多い。こうした人達
だから皆年寄りである。予定地に着いてからの移動中のバスではぐっすり眠りこけている。観光場所に着き、いきなり起こされて下車し、写真を撮って、また次の目的地まで眠る。車中での説明なんか聞いていないから、
自分が今どこにいるか分かるわけがない。
老夫婦がホテルのレストランや喫茶コーナでぼんやりしているので 「どうしましたか」 と声かけると、日本人と分かって
ほっとした表情で、「コーヒーを飲みたいのだが言葉が通じない、南米はコーヒー一杯、サンドイッチ一つ食べられない」 と力なく話しかけられたことがある。スペイン語圏では、“コーヒー”といっても通じない。
“カフェッ”と発音しなくてはいけない。
(注) ラテン・アメリカという定義は難しい。一口に言うと、メキシコを含む中米、カリブ海諸島、南米大陸の国々でスペイン語かポルトガル語を話し、ラテン文化を継承している国々と言う事が出来る。フランス語をラテン系の言語に含めると、
ハイチ、グアドルペ、マルティニク、ギアナなどが含まれる。ただ、フランス系住民が30%もいるカナダは一般的にはラテン・アメリカには入らない。
英語圏のジャマイカ、ベリーズ、スリナムはラテンと言うのは難しい。しかし、中南米と言う場合は、言語、文化に関係なく、地理的に中米、南米、カリブ海諸国を言う。メキシコは地理的には北米であるが、中南米という場合でも、ラテン・アメリカという場合でも、どちらの場合にも含まれる。
≪民芸品収集のきっかけ≫
旅の楽しさや面白さを本当に味わうには、地上の交通機関を利用するに限る。アルゼンチンに駐在していた私は、仕事の上でも、観光のためにも、南米諸国を気軽に歩けるという幸運に
恵まれていた。 チリやパラグアイ、ウルグアイ、それにブラジルの南部などは殆ど車で行った。
ペルーやボリビアへも車で行きたかったが、さすがに遠すぎるのと道が悪く、車が殆ど走っていないので、万一故障したり、ガス欠になったら飢え死にしてしまう恐れがあるとの知人の忠告に従って諦めた。
一日に1000キロも走ったことは珍しくない。このくらい一気に南北を移動すると植物の分布が変わるのがはっきり分かる。途中の景色を楽しみながら小さなレストランとかガソリンスタンドに立ち寄って、土地の名産や民芸品を聞き
出したり、あるいは、道端の老婆から採りたての果物を買ってお喋りをしたり、綺麗な花が咲いているのを見て、その名前を聞き、ちょいと摘まんでバックミラーに挿してみたり。地面を走ることによって、その国のその地方の生の生活が見られる。これが旅の楽しさだと思う。
こういった旅が出来ながら、その記念が写真だけというのは勿体ないし、歴史や文化の片鱗でも偲べるものを思い出として残しておこうと思い立ったのが各地の民芸品の収集のきっかけである。
このホームページで紹介するものは、私が行った際に入手した収集品のなかのごく一部である。このほかに絵画、壁掛け、楽器、敷物、民芸調雑貨等があるが、それらは別の機会に譲る事にした。また、現地では目につかなかったり、興味を引かなかったりして入手しなかったものも多数あるので、各国にはこの他にもまだまだ沢山のものがあると思っていただきたい。
≪ラテン・アメリカの民芸品の特徴≫
ラテン・アメリカ諸国の独立は、1810年ごろから1820年代の後半にかけて次々と達成されたもので、現在で漸く200年になろうとしている。その上、独立前はポルトガル、英国、フランスなどの支配を受けていた地域や島々を除き、殆どがスペイン一国の支配を受けていたため、国ごとによる個性が育ちにくかった。政治、宗教、教育などのメンタルな面
だけでなく、街作りのレイアウト,教会,議事堂、役所などの建物についても、大きさとか規模は別として皆同じような規格の外観を持っている。
このため、各国の民芸品は、スペインの征服前に栄えた原住民の文化・伝統をモチーフにしたものが中心である。これらを題材にして、革や陶器,金・銀・銅・錫などの金属、そして毛織物、木・竹・葦・石・ガラス、貝殻などの材料を使って、人形、敷物、壁掛け、置物、装飾品、灰皿、壷、篭、物入れ、小さな実用品、遺跡から発掘されたもののミニチュアなどを作っている。これらの民芸品は、生産された場所ごとに独特のものがあるわけではなく、その国のどこへ行っても同じ物が売られている。先住民族の歴史の長さとか版図の大きさが、国ごとに見た民芸品の種類の多少に現れているように思える。
すなはち、南米ではインディオ文明の中心的存在であったインカ族の本拠のあった、ペルー、
ボリビアなどが民芸品の種類が最も多く宝庫である。材料も上記に述べたようなものがすべて使われている。
南米の原住民の中でも最強と言われ最後までスペイン軍と戦ったアラウカーノ族がいたチリには、銀製品、陶器、籐製品、木彫りなどの他、日本でもお馴染みのラスピラスリ細工がたくさんある。チリのラピスラスリには細かい金片がたくさん入っている。
逆に最も穏健であったグアラニ族のパラグアイには、世界的に有名なニェアンドッティ(蜘蛛の巣刺繍)の他、木彫り、革製品が多い。コロンビアでは、採掘量世界一のエメラルドや金の装飾品が有名だが、民芸品と
しては陶磁器製品、籐細工などがある。ベネズエラでは、グアヒーラ族の色彩豊かな織物、麻細工などが 代表的である。 エクアドルでは、木彫り、織物(ポンチョとか敷物、壁掛けなど)パンを固めて人形や鳥などの形にしたものが有名だが、珍しいものとして、ツァンツァ(Tzantza)と言う原住民の干し首の模造品がある。 ウルグアイにはアメジストを用いたものや椰子の実を使ったものがある。1980年ころまでは、オットセイの皮を使った製品があったが、その後は捕獲禁になり、現在では見当たらないようだ。
ブラジルは、サファイア以外の全ての宝石が採れると言われるほど、宝石・貴石がたくさんあるので、これらを使った装飾品、置物などが多いが、木や魚貝の化石を細工したものもある。民芸品としては、やはり木や革、椰子の実を材料にした人形や置物類が主である。
アルゼンチンのようにヨーロッパ人が侵入するまでの原住民は、ほとんどが狩猟漂流民族であった国では、固有の文化がなく、民芸品と言えばヨーロッパから
の移民が流入した後のものばかりで、ガウチョ(牛飼い)かタンゴにまつわるものに集約されるが、形態や材料は多種多彩である。また、北西部で採れるオニクス(薄緑の他にルビーのような赤い高価なものもある)の加工品も有名である。
中米のメキシコ、グアテマラなどには、繊維製品、陶器製品、銀製品が多いが、題材はそれほど古いものとは思えない。キューバには色々な形で、色々な材料を使った人形がたくさんある。
≪私にとっての民芸品の価値≫
中南米の民芸品は、あくまで民芸品であって、美術品のような芸術的価値のあるものは少ない。金銀宝石を使った装飾品のようなものを除き、日本人の高級品志向の目から見るとお粗末な細工なものが多い。特に
人形類については、顔の表情に重きをおく日本人から見ると、まことに幼稚である。
しかし、私にとっては芸術的価値などは二の次三の次のことである。広大な大陸にある国々やカリブ海に面した国々から、自分の足で集めたものであること、特に、南米にある全ての国(ブラジル北部の3つの小さな国を除き)の民芸品があることに最大の誇りを持っている。近年は日本の各地に外国の民芸品を売る店がたくさんできて、ペルーやメキシコ、グアテマラなどのものは手に入り易くなってきた。しかし、これらの国以外のものは殆どない。輸入しても多分売れないからだろう。
私のコレクションの希少価値がいつまでも落ちない事を願っている。
人形達を一つ一つじっと見ていると、私が彼らの故郷の町や村を訪れた時の情景を彷彿とさせてくれる。"埃っぽい石ころだらけの道"、"紫色に起伏する小山のような砂漠"、"果てしなく続く大草原"、"見事なまでに深い紺青の海"、"異様な臭いが漂い蝿が群がる市の屋台"、"皺だらけの手の老婆"、"地の果てを思わせる黒い海の砂浜"などなどが今でも目に浮かんでくる。
|