【キューバ Cuba】

  キューバはリズムの激しいラテン音楽の源泉である。ルンバ、ソン、マンボ、トゥローバ、チャチャチャ、ボレロ、コンガ、サルサ、グアラッチャなど、ラテン音楽で我々の良く知っているリズムは、みなキューバから生まれたようなものだ。ハバナの市内では、ちょいとした広場や市場の中庭などで、数人のバンドがしょっちゅう演奏しているし、地方の国道沿いのドライブインや、レストランなどでは、観光客へのサービスに一生懸命楽器を鳴らしている。
  カストロの革命以降アメリカから経済封鎖を受けて国内は疲弊し、あまつさえ、ソ連の崩壊で最大の輸出産業である砂糖の最大手のお得意様を失った中で、キューバは音楽のお陰でどうにか外貨を稼いでこられた。外貨稼ぎの王様は、スポーツ(選手やコーチとして)の輸出と、音楽の輸出だと言われる。そうでありながら、しばらくは、国内にCDの生産工場がないため、カナダやコロンビアの企業と提携して、音楽の原版だけを国内で作り、CDに製造してもらっていた。
  2000年〜2001年は日本でもどうゆうわけかキューバ・ブームだった。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クルブと言う、50年も前の年寄り楽士達のグループが蘇り、ヨーロッパや米国で大人気を得て日本にもやってきた。ブームに乗って映画もいくつか出来た。それまでは、キューバに関心を持っていた人たちの大半はラテン音楽好きの人たちで、一般の人は、それほど関心がなく、ましてや、実際にあの小さな島国に行って見ようなどと考える人は殆どいなかったと思う。 私がハバナで会った日本人の女の子も、やはりキューバ音楽、特に2000年以降に流行してきたサルサ大好き人間で、わざわざキューバまで踊りを習いに来たと言っていた。テレビでも同じような番組を見た。

  しかし、このブームに航空会社や旅行社が目をつけないはずはない。JALが2000年の8月に直行のチャータ便を4回も飛ばし、年末にも飛ばした。チャータ便と言うことは、バンクーバから米国の頭越しに飛ぶのだから、やはり、米国のご機嫌を損なうような定期便には出来ないためなのか、それとも、どれだけ客が集まるか分からないので、試験的に飛ばしたのか知らないが、カストロにとっては大満足であったろう。寡聞にして、この試みが成功したかどうはは知らない。それからかれこれ10年近くも経って米国のブッシュ共和党政権が退場した。共和党政権が続いている間は厳しかったが、民主党のオバマ大統領になって漸く動きが出てきた。私は常に、キューバへの観光客が増え海岸沿いのマレコン通りが賑わう日が来るのを夢みているのだが。

 ドルを持った観光客大歓迎政策のなせるせいか、ラテン・アメリカでも一番入国審査が厳しいだろうと思われたハバナ空港には荷物検査がなかった。トランクを広げる台そのものがないのである。入国審査官はホテルの予約の有無を聞いただけで、にこにこしてパスポートを返してくれた。入国スタンプもない。これは、後日、米国やエル・サルバドールなどへ行く時に、社会主義国へ行ったことのある人が入国を制限される場合を考慮した親切な措置なのである。しかしドルを持っている客からは、できるだけドル貨を取るのが国策なので、空港に着いてカートを使うところから、これに協力させられることになる。カートに手をかけると、すかさず小さな女の子が手を差し出して使用料を払えと来る。定価などないから精々1〜2ドルやれば、グラシアス(ありがとう)となる。

  社会主義国の国民に乞食はいないと言っても、街にはそれに近い生活をしている人たちも多く、観光客にやたらにチップや、お恵みを乞う子供達もいる。マレコン通りで写真を撮ろうとしたら、ちょこっと子供が入ってきて一緒に写る。要するにキューバらしさを出してくれる意味なんだろうが、終わると、小さな手を出す。要するにモデル料というわけだ。仕方ない、5ドルほど握らせると、離れたところで母親らしき女がにこにこしている。こうした習性や行動をそのまま外国から来た観光客に見られたら、余り格好いい姿ではないだろう。 知られたくない恥部を、曝け出すことにならなければいいがと心配している友人がいた。要するに底辺に住む国民には受け入れマナーがまだ出来ていないのである。
 今でこそ貧困に苦しんでいるが、立派な音楽文化を持つ、こうした国を訪ねる場合には、余計な事かもしれないが、純粋にその国の文化を評価できる、サルサを聞きに来る人達のような心構えが必要なのではないかと思う。

  ハバナには世界最大と言われる音楽ショーを見せる、”キャバレー・トロピカーナ”と言う野外劇場がある。ラテン・アメリカではこの種の劇場をキャバレーと言うが、日本人の想像するキャバレーとは全く違う、最高の踊りと音楽を聞かせてくれる場所である。この他にも大きなホテルの中にキャバレーガがある。ホテル・ナシオナルの中の”パリシエン”(フランス語のパリジェンヌ)もその一つである。
  このように、音楽と踊りを国を挙げて世界に供給している国だから、民芸品だってそれにまつわるものが多いのは当然だ。人形の形態や材料も様々である。キューバの土産品となると一般的には人形などではなく、葉巻、ラム酒それにコーヒーが代表的である。しかし、葉巻は好き嫌いがあるし、酒瓶は重たいしで買うのを躊躇するが、コーヒーだけはお薦めである。あの苦味のある味は、日本にあるコーヒー店の "キューバ・コーヒー " にはないものだ。 
 街には、市場があちこちにあり、日用品は配給である。社会主義らしき国だが、我々から見て、あれっ と感じることがある、それは、街には広告看板がない事である。社会主義には物を売るのに競争というものがないので、コマーシャルは要らないのだ。綺麗とかすっきりしているとかは感じるが、大都会の一つの景物がないのは、やはり異様にも感じる。1950年代の米国の大型乗用車が今でも現役で、タクシーに使われているのは、小さな3輪タクシーと好対照で、貴重は光景であるし乗るのも一興である。

 観光ポイントは、東部にはカストロが革命のため上陸した地方とか、旧都トリニダッとか、老人と海の作者ヘミングウエイの家があるコヒマル海岸とかがあるが、西部のピナール・デル・リオが圧巻である。丸い面白い形をした山が続き、更に洞窟の仲が湖になっている所とかが面白い。この地方は葉巻の産地でもある。

  2009年、米国に民主党のオバマ大統領が登場し、それまでの共和党の政策であった「孤立主義」を180度転換して、各国との協調融和政策に変わった。キューバに対しても同様で、渡航制限を緩和したり、お金の送金なども自由にした。メキシコ市内の旅行社に勤める友人は 「キューバ観光は、米国と対立していた時代には資本主義と社会主義の違いが分かって面白いのであって、米国と仲がよくなっては、また昔の資本主義時代に逆戻りしてしまい、ただの観光地になり面白くなくなる、キューバ観光はフィデル・カストロ時代に行くべきであった」 と言っていた。
 その後米国はトランプの時代になり、折角オバマが国交を回復したにもかかわらず、ふたたび冷たい関係に逆戻りしてしまった。バイデンはオバマ時代に戻すと公約しているが、2023年現在実行されていない。   

                            (キューバ編終り)  
     
グアテマラ編へつづく
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