【グアテマラ Guatemala】 飛行機の窓から眺める富士山は美しい景色である。でも、この富士山のような美しい山が3つも見えるグアテマラの光景は、3倍とまでは言わないまでも素晴らしい風景である。グアテマラ市内の高級住宅地に近い、ラ・アウロラ空港に発着する飛行機からは、天気がよければ、これらの山がいつも眺められる。 グアテマラ全土には火山が多く、タカナッ、タフムルコ、サンタ・マリア、スニル、サン・ペドロ、トリマン、アティトラン、フエゴ、アグア、パカジャ、スチタン、イパラなどと、この狭い国土の中に、10を超える火山が聳えている。従って地震も多く、最近では、1976年2月と1981年11月にM6級の大地震が起きているし、隣国のエル・サルバドルでは、1986年10月にM5.4、2001年1月にはM7.6、僅か1か月後の2月にはM6.6の大きな地震があり、また1991年4月にはコスタリカでM7.4、2003年1月にはメキシコにM7.3の阪神大震災級の地震が起きるなど地震帯の真っ只中に位置している。 富士山のように美しい3つの山とは、グアテマラ・シティの西150キロにある、"世界一美しい湖と自慢する、"アティトラン湖"の周りに聳える、サン・ペドロ、トリマン、アティトランの、いずれも3000メートルを越す火山群である。世界一はおこがましいと思うが、分かりやすく言えば、伊香保の榛名湖とその後に聳える榛名富士を三つ並べて、全体を10倍位にした風景だと思って頂ければ良い。 それほどグアテマラという国は自然が美しい国で、穏やかな気候に恵まれていることもあって"永遠の常春の国"とも言われている。都会にも田舎にも一年中四季の花が咲き乱れている。ちょっと歩いただけでもハカランダ(英語読みジャカランダ)や、ブーゲンビリア、ジェラニュームなどが目に入る。七色に彩られたような美しいホテルの中庭からは、時折この国特有の楽器であるマリンバ(注)の、"からからころころ"と言った澄んだ音色が響いてくる。 中米最後の内戦と言われた争いが終わったのが1996年12月で、それからもう4分の1世紀も経っているが、まだときどきは、きな臭い匂いがする。 南西部の太平洋側の火山群とは対照的に、北東部カリブ海側の低地地方には、密林に覆われたマヤの遺跡が多い。有名なティカル、コパンを始め、キリグア、セイバル、ウアサクトゥンなどの遺跡が密林の中に眠っている。時間の許す旅であれば、これらの遺跡群も、民芸品の収集などとは別に、グアテマラアを知るには是非とも見たい観光ポイントである。 (注)木琴を大きくしたようなものに木の共鳴装置をつけた打楽器。 50年位前までは、グアテマラのことを「今のグアテマラは本来のグアテマラではない。真のグアテマラはまだこの世に存在しない」と言われていた。その理由は、地勢的にも社会的にも国家統一には不向きな要素が多すぎると言うものであった。そのためか、長い間内戦が続いていたのである。 しかし、実際にこの目で見て見ると、住んでいる人たちは、マヤ族の後裔が殆どで、性質は他の国のインディヘナと同様に、温和で従順である。1996年12月29日まで、36年間も反政府軍との内戦が行われていたのが信じられない。この戦争で主に地方の住民が28万人もが死んだ。この終焉により、中米各地で長い間続いていた内戦は全て終わり、中米の細い地峡に一時的にも平和が訪れた。 前置きが長くなったが、グアテマラの人々は、メキシコ南部からグアテマラ、ベリーズにかけて勢力を伸ばしていたマヤ族共通の文化を持っており、生活様式も余り変わらない。かって、日本の観光会社が主催した"秘境ツアー"(この地方を秘境と言うのは大変差別した言い方だと思うのだが)で知られた、北西部のアルト地方(山岳部)の町や村は、生活様式に昔からの伝統を守っており、民芸品の宝庫である。民芸品としては、いずこも同じように、人形や陶製品、木彫り、壷などであるが、やはり何と言っても、グアテマラの民芸品はマヤ文化を今に伝える織物製品で、各地独特の色合いを持った衣装や、敷物類は傑出しており、同じような織物を使ったカバンなども実用的価値が高い民芸品である。 変わったところでは、遺跡から掘り出したと言う陶器や、その破片を骨董品として売っている。ところが、これらはとんだ食わせ物で殆どが偽ものである。高いお金を出して買おうものなら、跡で後悔すること間違いない。売っている店では、さも貴重品のように特別のガラス・ケースなどに入れていて、証明書も付いているなどと、まことしやかに勧めるのである。 民芸品は地方の町でも勿論売っているが、なんと言ってもグアテマラ市の旧市街にある、政庁と広場を挟んで立つ大聖堂の裏の大市場が有名だ。ここには、国中の手工芸品が揃っている。地下は住民の日用品、食料品などの店で、1階が全部民芸品店になっている。余談であるが、政庁は一部が観光客に開放されていて、2階の大広間にはグアテマラ全土の道路原標が立っている。東京の日本橋にあるのと同じようなものだが、建物の中にあるのは珍しい。また、グアテマラ市にある、国立考古学博物館には、マヤ文明の全てが陳列されており、複雑なマヤ文字や彫刻品、それに年代順の衣装や生活道具などの変遷の様子が見られる。 1773年の大地震で壊滅するまでの首都であった、アンティグア市には、各地の織物や民族衣装を集めた博物館がある。陳列品は、衣装の他に敷物やテーブル・センター、クッション、紐類、帽子などである。アンティグアには、この他に、民芸品ではないが、木綿製品の優れたものがある。 先に述べた、アティトラン湖の岸にある村々は、村によって着ているウイピル(村の女性の衣装)の色が違う。生地の毛織物は殆ど自分達の村で織る。大体の基調色は紺青や紫、緑系のもので、これに鮮やかな赤が混ざる。村によって模様やデザインが違っており、着ているものを見るとその人が住んでいる所が分かるらしいが、我々にはどこの村のものであろうと美しさには変わりはない。また、この湖の湖畔では、陶芸品を焼く窯場も多く、題材は、ここでも鳥を取り上げたものが多いようだ。値段はグアテマラ市内で売っているものの4分の1程度でかなり安い。 民芸品を買う時は、色違いとか大小を揃えるなどの買い方が理想的だと思うのだが、陶製品のように目方の張るものや大きなものは、持ち運びが大変なので、買い控えてしまうことがしばしばあり、後で後悔することがよくある。 (グアテマラア編終わり) |
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