【ベネスエラ Venezuela】


  かって、メキシコのことを「天国に一番近く、アメリカに最も遠い国」と言った人がいる。これになぞらえて言うと、ベネズエラはさしずめ「アメリカ(北米)に一番近く、南米に一番遠い国」と言うことができるかもしれない。

 私にとっては、南米の国々の中で、ベネズエラが最も馴染みの薄い国である。一度しか行ったことがないし、それも僅か1週間の滞在だったからだ。その短い滞在の中でも一番印象的だったのは、巨大な高層ビル群や、急速にアメリカ化をもたらした象徴である米国製の車の多いことであり、言葉も英語が普通に通じる。このことから、ここは、もはや南米ではないと感じたものである。実際にフロリダにはほんの一ッ飛びで行ける。金持ち階級などは、ちょいとした買い物などにもフロリダへ行くそうである。南米らしい魅力を感じなかったのも、当然だったのかもしれない。

  この国は南米大陸解放の二人の英雄の一人、シモン・ボリーバルが生まれた国である(もう一人は、アルゼンチン生まれのホセ・サン・マルティン)。首都カラカスで生まれたボリーバルは、今でも国民崇拝の的で、カラカス中心部にあるボリーバル広場には、馬に跨ったボリーバルの銅像が立っている。通貨の単位もボリーバルである。
 アメリカ化に伴い、貧富の差が広がり、地方の町や村からカラカスへ出てきた人が多く、彼らは周辺の丘の中腹などに掘っ立て小屋のような家を建て住み着いた。大きな道路を走っていると、一方が高級住宅地で、反対側が貧民街という全く対照的な光景を幾度となく見た。

 このような光景は、リオ・デ・ジャネイロでも見られる。リオのキリスト像が立つコルコバードの丘から北方の斜面に群がる、古い映画「黒いオルフェ」や、2000年に封切られた映画「オルフェ」、2008年の「シティ・オブ・メン」などの舞台になった、混沌とした住宅密集地帯である。

  カラカスから西へ500キロ行くと、南米最大の湖マラカイボ湖がある。狭い入り江でカリブ海と繋がった、大きな潟のような湖である。この付近一帯はベネズエラ経済を支える石油の宝庫で、湖面には油井櫓が林立している。湖上や周辺には今でも原住民のグアヒラ族が住んでいる。湖のそばには、世界で最も雷が多いと言われる地帯がある。

  一方、南部のブラジルと国境を接する地域は密林地帯で、ここを水源とする全長2500キロのオリノコ川はベネズエラの中央部を流れ大西洋へ注ぐ。オリノコ川の東側には広大なギアナ高地が広がっている。ここには世界的に有名な、"アンヘルの滝(エンジェル・フォール)"がある。しかし、2010年1月に、チャベス大統領がこの滝の名称を、ベネスエラ古来の財産だと言うことから、発見者エンジェルの名前は怪しからんとして、「ケレパクパイ・メル Kderepakupai Meru」という難しい発音の現地名に変えてしまった。しかし結局この名前は認知されず、今でもエンジェルの滝である。

  先にも述べたように、やたらにアメリカ・ナイズされたベネズエラは、ラテン・アメリカの魅力を求めてやってくる外国人観光客には余り魅力がない国であるが、落差1000メートルもある、このアンヘルの滝だけは、文句なしに第1級の観光ポイントであろう。この他にもギアナ高地には、「失われた世界」の舞台になった"ロライマ山"や、映画「パピヨン」の主人公が投獄された城砦牢獄"ラス・コリーナス"などがある。
  ベネズエラは大都市の発展に比べ、地方や僻地は未開発のまま放置されており、奥地にはまだ裸族が暮らす密林が残されている。こうした現状から観光資源の開拓も遅れていて、これに合わせるかのように、民芸品などの特産物も少ない国なので、それも私に魅力を感じさせてくれない理由の一つかもしれない。

  数少ない民芸品を上げるとすると、カラカス郊外にある、コロニア・トバールと言うドイツ人移民の入植地で作られる陶芸製品、カラカス市内の民芸品店で売っている人形、原住民の祭りに被るお面、置物等である。それに、マラカイボ湖の周辺に住む原住民グアヒラ族が作る色鮮やかな織物製品などがある。
  グアヒラ族の手工芸品の中では"チンチョロス"と言うハンモック、色彩豊かな膝掛け、敷物、ポンチョ、帽子などが目を引く。また、サンフランシスコ・デ・ジャーレ村の悪魔のお面を被った人形や、ララ州のグァダルーペ村の鳥や人形をかたどった木彫り細工なども目を楽しませてくれる。この他に、沿岸の島で作る椰子の実細工や麻細工なども、民芸品としての価値がある。

  南米諸国はどこも同じようであるが、国内の主要都市間の交通は一般庶民階級は長距離バスが主であるが、ビジネスには飛行機が一般的である。一時期、飛行機事故が多発したこともあった。ここ数年は殆ど事故の話しを聞かなかったが、2008年の2月に、西部のメリダからカラカスへ向かっていた、サンタバルバラ航空の双発ATR42-300型機がアンデス山中に墜落した。乗員・乗客46人が乗っていたが全員死亡の痛ましい事故である。
  ベネズエラには、1998年に左派のチャベス大統領が登場し、1999年12月に国名を「ベネズエラ・ボリーバル共和国」に改名した。医療の無料化や低所得者への手厚い政策で人気を維持し、事毎に米国の共和党政権と対立してきた。就任10年目に入った2009年には3期目に入っているが、2009年2月に憲法改正の国民投票で再選制限撤廃が承認された。しかし、賛成は50%を僅かに上回っただけで、反チャベス勢力が対決姿勢を強めてきたが、2013年3月5日、癌のため死去、後継にニコラス・マドウーが就任、チャベスと同じ反米政策を推し進めている。このため2019年には国民議会のグアイド議長が立ち上がったが、マドウーロ政権を倒すことは出来ない。このため政治に不満のある国民の隣国などへの流出が進んでいる。
  
          (ベネズエラ編終わり 2010.3.15改訂)

 
ブラジル編へ続く
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