ブラジルはとにかく広い国だ。南北と東西の距離は凡そ4300キロでほぼ同じであり、日本の23倍もある。しかし、このような面積の比較では、なかなか大きさや広さが想像できないので、日本とブラジルの、国内における社会的文明的水準の格差の大きさで比較して見ると、また違った見方が出来る。つまり、ブラジルと言う国は、人跡未踏の無人地帯や、アマゾン奥地のヤノマミ族のような裸族の住む原始的社会から、大西洋岸の世界的大都市、そしてまだ、ようやく半世紀をすぎた歴史(2023年で63歳)しかない、超近代的首都ブラジリアまでの文明発展の時間格差は、数百年もの隔たりがある国である。

  反対に日本にはこのような地域間の発展の落差は、今は殆どなくなったと言ってよい。今ではどんな僻地や孤島でも、地図に載っていない場所などないし、少なくとも定住者のいる所には電話は皆自動で繋がるし(携帯は繋がらない場所がある)郵便や宅配便の届かない場所はなく、映画は全国で一斉に封切りが見られるし、流行ファッションもすぐに全国津々浦々に普及する。

  こんな広い国でも、1億5000万人を超える人口の90%は、大西洋沿岸の都市部に集中している。南米最大の近代都市サンパウロは人口1200万人で全人口の7%が住み、ブラジル経済の中心地であり、南半球最大の都市である。サンパウロの外港でブラジル最大の貿易港ントスは、1908年に日本からの始めての移民が上陸した所である。しかし、この周辺には観光ポイントは少ない。

  人種の坩堝と言われるブラジルでは、移住してきた人種は、どうゆうわけか、北緯と南緯を逆にした自分の本国と同じ緯度付近の土地に住みたがると言われる。例えば、日本人はサンパウロやその近郊に、ドイツ人は南部に、黒人は北部にという具合である。サンパウロに住み着いた日系人は、リベルダージ地区のガルボン・ブエノ通りを中心に、日本文化を受け継いだ街並みを作っている。

  第2の都市、リオ・デ・ジャネイロは人口600万人で、サンパウロに次ぐ第二の都市で、経済ばかりでなく文化の中心地であり、南米大陸の大西洋岸有数の観光地でもある。華やかなサンバのカーニバル、贅沢なリゾート海岸、絶景のポン・ジ・アスーカルなど、いくつもの観光要素を備えた国際的大都市である。

  ポン・ジ・アスーカルは丁度ラグビー・ボールを半分にしたような奇岩が、手前のウルカと言う丘の先に聳え、常に一体で眺められる。市内から見ると丁度オットセイが首を持ち上げたような、あるいは亀が首を伸ばしたような格好に見える。リゾート海岸はポン・ジ・アスーカルに近い方から南へ、コパカバーナ、イパネマ、レブロン、サン・コンラードの順に続く。名前が変わっても、別に海岸に仕切りがあるわけではなく、砂浜をづっと歩いていける。砂浜を眺める海岸には高級ホテルやマンションがびっしり立ち並んでいる。

  ポン・ジ・アスーカルと並ぶ観光ポイントが、海抜710メートルのコルコバードの丘に立つ、白いキリスト像である。高さ30メートル、横一文字に広げた両手の幅は28メートルもあり、重さは145トンもある。市内の何処からでも見られ特に夜はライトを浴びて夜空に怪しく浮かび上がる。この丘ばかりでなく、リオ市内には急斜面の丘が多いが、その山腹には"ファベーラ"と言う、貧しい人たちの部落がひしめいている。リオで一番貧しい人たちが、一番良い景色を独占しているとして、市当局は何十年も前から、立ち退きを要求しているが未だに実現していな。そうは言っても、ほんの一瞬ブラジルに立ち寄るにだけのパック・ツアーでも、ブラジルを代表する二つの都市(リオとサンパウロ)だけは見たいものだ。

  ブラジリアは、"50年の進歩を5年で"というスローガンの下に、当時の権力者クビチェック大統領が自分の任期中の完成を目指し、1953年から建設がはじまり1960年に完成した超近代都市である。完成から2023年で63年になるが、半世紀以上が経ったいまでは木々も大きくなり、市街地も膨らみ落ち着いてきてはいるが、奇抜な建築物が随所にある珍しい光景である。建築家や都市計画に関心のある人々には興味ある所であろうが、なにせ歴史が浅いので古い物を見たい人間には今一つ魅力を感じさせてくれない。

  ブラジルの地勢は大きく分けて、北部のアマゾン川流域地帯、中央部から南東部のブラジル高原地帯、南部のラ・プラタ川流域の平野部となっている。これだけ広い国だと、各地域の産物も違うし、文化習慣も違うので、自ずと手工芸品なども、地域の特色のある物が作り出される。

  北部のアマゾン川地域の民芸品としては、獰猛な肉食魚ピラニアの剥製が有名である。大西洋に突き出た形の東部のバイヤ州では、木彫りでできた人形や人物像などが特産だし、隣のペルナンブコ州の、素焼きに泥絵の具を塗ったような人形、椰子の実を使った物入れなども価値がある。

  南部の平野部は、なだらかな丘陵地帯が果てしなく続いている草原である。牧畜が盛んなので牛の皮を使った動物の人形や、アルゼンチンでよく見るマテ茶の壷などの民芸品が目に付く。南部最大の都市ポルト・アレグレから最南端のウルグアイとの国境の町シュイ(スペイン語ではチュイ)にかけては大きな湖が連なる湿地帯になっていて、水面に繁茂している草の上には、ヌートリアと言う体長60センチくらいの "南米川鼠” が住んでいる。

  ヌートリアの毛皮は、女性のコートに最適で、加工方法によってはミンクと同じように見える。毛の手触りがミンクより若干固く、目方が少し重いのがミンクとの違いで、値段はミンクの10分の1くらいである。ヌートリアはとてもすばしっこい動物で、人の気配がするとすぐ水に潜ってしまい、網などではなかなか獲れない。獲り方は魚を釣る要領で、糸に餌をつけて投げ、咥えたところを釣り上げるのである。アルゼンチンでは、ヌートリアを養殖しており、同国の主要な産物である毛皮製品の原料として重要な地位を占めている。

  アルゼンチンとの国境に跨るイグアスの滝付近には、世界的にも貴重な蝶がたくさん生息していて、近年捕獲が禁止されているにもかかわらず、この美しい羽を細工した工芸品が観光客を喜ばせている。この他にも、木や魚類の化石がたくさん掘り出されるようで、化石そのままのものの他に、加工して文字盤にした時計とか、灰皿、置物などもたくさんある。また、ブラジルは世界的にも有数な宝石・貴石の産出国なので、アメジスト、トパーズ、アクアマリン、ガーネットなどの貴石(この種の石は宝石とは言わない)を使って、鳥、ミニチュアの盆栽、動物、壁掛けなどが作られている。

  全国各地の民芸品は、リオ・デ・ジャネイロやサンパウロの民芸品店で売られており、少し歩くだけで十分手に入る。各地のものの他に、リオの誇るサンバの祭典で踊り狂う、華やかな踊り子達を模った人形はリオならではの高価な民芸品である。それぞれの人形は、高さがせいぜい20センチ足らずのものが多いが、顔の表情一つとっても、衣装のデザインにしても、実に精巧に出来ている。顔はブラジル特有のメスティッソ(白人と黒人の混血)の美人で、衣装には2〜3ミリの金銀色のスパンコールを一つづつ縫い合わせ、赤や水色に染めた鶏の羽をドレスの裾に縫い付けてある。

  民芸品の範疇ではなく、純粋な宝石(ダイヤ、エメラルド、ルビー、サファイヤ、オパール)を使った装身具、装飾品は数え切れないほどの種類があるが、本題と外れるので触れないことにする。ただ、イグアスの滝について、一般的に誤解があるので、この部の付録として触れておきたいと思う。

【イグアスの滝】(正確にはイグアスー(iguazu')と語尾上りにアクセントを付けて発音する)

  イグアスの滝はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3国に跨ると書いてある案内書があるが、これは大間違いである。滝は我々の国のものと信じている、ブラジル、アルゼンチン両国の権威と名誉のためにも詳しく説明しておこう。

 地図のように、イグアスの滝の下流では、パラグアイ北部を源流とするパラナ川が北から南に流れ、西側はパラグアイである。そこへブラジル南部を源流とするイグアス川が東から流れて来て、パラナ川に突き当たってT字路を作っており、北がブラジルで南がアルゼンチンである。T字路から南東へ20キロ上流でイグアス川が南から”Uターン”するように曲がっているため、外側に当たる南のアルゼンチン側の岸は大きく抉られて広くなり、凹凸も激しく、ブラジル側はカーブの内側なので川岸は単調である。落差が付いた所が滝になっている。このように、パラグアイは滝には全く触れていない。

 滝はブラジル側とアルゼンチン側から互いに眺め合うような形になっていて、それぞれが全く違った特徴を見せている。このため、本当の姿を鑑賞するには、どちらかの国のホテルに泊まって、両方から眺めなくてならない。

 ブラジル側は1か所から眺められるが、アルゼンチン側には大小合わせて数十もの滝があり、それぞれの滝には固有の名前がついている。大小の滝の縁を縫うように遊歩道があり、近年では観光用鉄道が敷かれている

 その中でも圧巻は落差80メートルもある「ガルガンタ・デル・ディアブロ(悪魔の喉笛)」と言う大きな滝だ。見所の特色を一口で言うなら、個々の滝の迫力を見るならアルゼンチン側、エリザベス女王が"ナイヤガラの滝が可哀想"と言った程の雄大なパノラマを見るならブラジル側ということになろう。

      (ブラジル編終わり)

ウルグアイ編につづく
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