【アルゼンチン  (第1部:22州と2つの島嶼) その3

フフイ、サルタの両州は、アルゼンチンの最北部の州で、かってのインカ帝国の版図の東端にあたるため、今でもその子孫が多く住んでおり、数百年前の遺跡も残っている。ブエノス・アイレスあたりから行った人間から見ると、ここがアルゼンチンかと、同じ国内とは思えない違和感を感じさせられる。また、ペルーやボリビアからやってきたスペイン人が、最初に住み着いた所でもあり、いわばアルゼンチンの揺籃の地である。
 サルタ州は、踵の高いブーツの形をしたフフイ州を、すっぽり包み込むような地形で、両州ともボリビアと国境を接している。飛行機でボリビアへ行くときは、フフイ空港で出入国手続きが行われる。また、サルタ州は、チリ北部への陸路の連絡口でもある。

<フフイ州>
  フフイ州と言えば、まずウマウアカ町を思い出す。日本のフォルクローレ・フアンなら誰でも知っている、”花祭り:El humahuaqueño
の故郷である。しかし、フフイ市(正式にはサン・サルバドール・デ・フフイと言う)を訪れて市街から一歩外へ出ると、あの歌のような華やかさは感じない。6000メートル級の山々に囲まれた、フフイ市を含むウマウアカ渓谷は、南米のグランド・キャニオンと言われており、木の生えていない荒涼とした土地には、巨大なサボテンがにょきにょきと立っている。周囲の山々は、朝から夕方まで太陽の光を受けて七色に輝く。

  渓谷に沿って、フフイからツンバジャ、プルママルカ、ティルカラを経由してウマウアカに至り、さらにボリビアとの国境へ向かう、埃ッぽい国道の右側には、1990年代まで走っていた国鉄の線路が、真っ赤に錆びて続いている。近年になり鐡道の復活の話があるが、どうなることか。道の脇の少し土が盛り上がったような場所には、根元に石ころを積んだ十字架が何本も立っている墓地が所々に見られる。何故こんな所に墓地を作るんだろうか。国道は北端のラ・キアカで終わり、ボリビアのビジャソンの町ヘ歩いて入ることができる。

 ウマウアカまでの途中にある、プルママルカ、ティルカラなどの村には、小さな民芸品店があり、リャーマやアルパカの衣類を買うことができる。ティルカラの町外れには、アルゼンチンにはあるとは思わなかったインカ時代の、石造りの遺跡が残っている。ティルカラとウマウアカの間に南回帰線が通っている。南米大陸を通る南回帰線は、西は太平洋岸のチリのアントファガスタから始まり、東はパラグアイのアスンシオンの北を通り、ブラジルのサンパウロまで走っている。

 ウマウアカのインディヘナの市を訪れるのはフフイの旅の目玉の一つである。市には、リャーマ、アルパカなどで作られた衣類や袋物、帽子、手袋などは元より、金銀のアクセサリー類、陶器(素焼き)の壷、置物、壁掛けなど、さらには、笛や太鼓などの民族音楽用の楽器類、珍しいものでは牛の骨を細工した物や、サボテンの木で作った盆がある。サボテンの木は中が透すきで、輪切りにすると、ぶつぶつと穴があいている。どれもこれも欲しくなる、面白い民芸品が山とある。
それに、原住民が食べる食料品とか香辛料などの露天が町中に広がっている。隅から隅まで見ようものなら1日はたっぷりかかってしまう。車での旅が出来るときは、陶器や織物など重いものや大きいものを手にいれても運搬に苦労しないが、飛行機の旅では、買う前に持てるかどうか心配しなくてはならないのが厄介である。

<サルタ州、カタマルカ州>
 サルタ州は元々は、ペルー、ボリビアの銀や鉱物を大西洋岸に運ぶための中継地として栄えた所で、原住民出身の独立戦争の英雄、マルティン・ミグエール・デ・グエメス将軍の生まれた場所としても有名である。 先に、アルゼンチンにはコルドバを境にして、南北に二つの国があると書いたが、アルゼンチンの独立に関わったのは、ペルーやボリビアからやってきたスペイン人が住み着いた、北部の地方であり州である。その中でも、ツクマンとサルタが特に独立と関わっていたため、サルタ市内には歴史や民族に関する博物館があり、古い教会には、グエメス将軍の棺が収められている。また、グエメス将軍が着ていたと同じ、赤地に黒の縞模様のポンチョは、将軍を称えるこの地の有名な手工芸品である。対照的にアルゼンチンの南半分には、全くと言っていいほど遺跡や歴史的遺産と言えるようなものがない。

 サルタ市の西にはカルチャキ渓谷が南北に形成されていて、絶壁やスフインクスもどきの奇岩怪石などが眺められる。渓谷の西はアンデス山脈の麓まで続く乾燥地帯で、見渡す限りの塩湖である。アルゼンチンの西北部やボリビア、それにチリ北部にも塩湖が多いのは、太古の昔、南米大陸が海から隆起したことを物語っている。
 カルチャキ渓谷を南に抜けると、一面に葡萄畑が広がっている。勿論広さにおいては、国内はおろか世界でも有数の規模の広さを誇る、メンドーサ州のワイン畑には敵わないが、サルタ州の代表的品種であるトロンテッス種は、アルゼンチン・ワインの"白"のエースとして、世界的に通用する品種だと、専門家の高い評価を受けている。もう一方の"赤"のエース級品種として、専門家はメンドーサ州のマルベック種を挙げる。
  サルタ・ワインの中心地はカファジャテで、ここには、大手醸造業者のミチェール・トリノ兄弟醸造会社がある。訪れる人にはいつでも見学させてくれ、よく冷えたミチェール・トリノをデグスタシオン(試飲)させてくれる。ひんやりしたボデーガの中で飲んだ、トロンテッスの酸味とコクのしっかりした味が忘れらない。2003年頃以降は殆ど見られなくなってしまったが、1998〜99年のワイン人気が爆発した頃には東京でも買える機会はあった。しかし、防腐剤を入れて船に揺られ赤道を越えてくる輸入品は、どうも味が今一つで、醸造元で飲んだものとは一味違うように思えてならなかった。

 カファジャテには民族資料博物館があり、ここもまた優れた民芸品を陳列している。素焼きの陶器製品はいずこも大体同じだが、伝統的な技術を受け継いだ、見事な刺繍を施した織物は素晴らしく、特に壁掛けは値打ちものである。カファジャテからさらに南に下ると、カタマルカ州に入る。

 サルタを語るときに忘れてはならないのが、今では貴重な鉄道になった、"雲への列車:Tren a las Nubes"と言う観光列車である。サルタから西へ標高4200メートルのアンデス山中にある、チリとの国境の村サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスまでを日帰りで往復する。車窓からの風景は、サルタを出て暫くは、サボテンがにょきにょき生えている風景が続くが、スイッチバックを繰り返すうちに高度は上がり、ボリビアでよく見る"トーラ"(細長い葉っぱが固まったような雑草)のような草が生えた、砂漠のような光景となり、時折リャーマの群れが屯していて、ペルーの高原を思わせる景色が続く。

 段々と空気が薄くなっていくので、高山病予防のため、車内には酸素ボンベと、一部の地方で認められている麻薬の元になるコカの葉も用意されている。終点近くなり、列車は海抜4200メートルの高地にある、高さ63メートル、長さ224メートルの"ラ・ポルボリージャ鉄橋"を渡る。橋脚の形が以前の山陰線の余部鉄橋にとてもよく似ているが、長さも高さもこちらの方が勝っている。車窓から眺められる景色は、皮をはがれた動物の肌のような感じの山ばかりで、それほど感動的ではない。ただ、"雲への列車" と言うだけあって、季節により、天候により、雲が手にとるように眺められるのが素晴らしい。

 カタマルカ州はサルタ州の西南に位置しており、サルタ州西部と同じように乾燥気候に覆われている。この州にも塩湖がたくさんあり、渓谷には岩の芸術とも言える、自然の作用による奇抜な形をした岩があちこちにあるが、それは以外には、取り立てて言うほどの観光ポイントはないように思う。アンデス山脈のすぐ麓にあるため、東のツクマン地方から眺める月が素晴らしい。 

                                 (つづく)                      

アルゼンチン編 第1部 その4へつづく