【アルゼンチン (第1部:22州と2つの島嶼) その5

<リオ・ネグロ州(バリローチェ)>

  ネウケンから東へ流れて、大西洋に注ぐ川がリオ・ネグロ川で、川に沿って林檎畑が続いている。この川から南がパタゴニアで、リオ・ネグロ州の名前の謂れでもある。川の北岸は、ブエノス・アイレス州で、まだパタゴニアではないのに、どうゆうわけか、ブエノス・アイレス州の南限の町を、カルメン・デ・パタゴニアと言う。 リオ・ネグロ川が大西洋に注ぐあたりにも人口が集中しているが、この州を語るのには、西端のアンデスの麓の町、バリローチェだけを話せば十分だと思う。

  正式にはサン・カルロス・デ・バリローチェと呼ばれるこの町は、ブエノス・アイレスから1700キロの距離にあり、長距離バスで20時間、飛行機で2時間半かかる。南米のスイスと呼ばれ、アルゼンチン国内の、特に大都市から来る新婚旅行のカップルの他、夏はキャンプ、釣り、クルーズなどを、冬はスキーなど、さまざまなアウト・ドアー・スポーツを楽しむ人々が大勢やってくる。夏だけが活気づく、マル・デル・プラタと異なり、年間を通して賑わう国内最大のリゾート地である。

  町は、ディズニー映画"子鹿のバンビ"のロケ地になった、奇木"アラジャネス"(太い蔦のような幹が何本も生えて垂れ下がり、地面に接触した先端がまた地中に根を生やす珍しい木)の森や、巨大な松ぼっくりが実る松林などに囲まれた、ナウエル・ウアッピ湖に面しており、街並を造る建物の様式を始め、通りの店で売られている品物、レストランのメニューなどが、スイスや北欧の雰囲気を醸し出している。

  バリローチェの位置は、南緯41度半で、札幌と同じような位置であるが、標高が800メートルと高く、その上アンデスの直下にあるため、風が冷たく、真夏でも、ジャンパーやセーターは欠かせない。始めて来た人は、まさかこんなに寒いとは思わないので、真っ先にセーターなどを買う。そのためセータ屋がたくさんあり、真夏と言うのに日本の真冬と同じ品揃えである。お陰でセータ屋はいつもホクホクであり、観光客に愛想がいい。 
  ヨーロッパの最新のモードを取り揃えたブティックもたくさんあり、女性には喜ばれる街である。町には小さな手工芸品を売る店が集まっている所がある。花を手書きした小さなボタンとか、ペーパー・ナイフやら、陶器のネックレスやら芸術品とも言えるような小物が多い。また、民芸品店には、大小のフクロウの人形が沢山並んでいる。フクロウは、なぜか幸運を呼ぶ鳥とも言われている。

  レストランもヨーロッパ調の店があちこちにあり、メニューはフォンヂュとか、オーストリア風ステーキとか、フランス風ソースを使ったものなど、中身はヨーロッパ料理なのに、これらをスペイン語で書いてあるので、出てくるまで分からない。不安と期待半々で待っているのだが、出されて見ると、予想した料理かどうかを確かめる前に、そのボリュームの多いのまず驚かされてしまう。

  しかし、そこは知恵を働かせば、次からは、2人で、1人前注文すれば丁度よいことに気がつくはずである。バリローチェのレストランのメニューに鹿肉料理がある。まるで、"くさや"の干物と"ふきのとう"を一緒に噛んでいるようで、一度で参ってしまった。その後、日本のテレビで、鹿の肉を旨そうに食べる番組を見るたびに、信じられない思いをしている。

  スイス人の移民が多いので、街にはチョコレート屋さんがあちこちにある。チョコレート専門店なのにどの店も中が広い。それぞれの店が競争しているので、店の外観は元より、店内の飾りつけや、ディスプレイも派手で、カラフルで、いつも日本のバレンタイン・デイを控えた時期のような感じを受ける。

  バリローチェは、陸路でチリへ行くルートの一番南のコースの出発点であり、終着点でもある。ここからのルートは、サルタやメンドーサからのルートと違って、湖をたくさん渡るので景色が変化に富んでおり、また、それを繋ぐ峠道を通るスリルが味わえるので、時間がある旅ならば、是非お薦めしたいコースである。このコースの素晴らしさは、このホームページの「アンデスをバスと船で越える」をご覧頂きたい。

<チュブ州(バルデス半島、プンタ・トンボ)>
 リオ・ネグロ州の南隣のチュブ州から南をパタゴニアと言うが、まだチュブ州辺りは想像していたような地の果てと言ったような印象はしない。ここからさらに南のサンタ・クルス州に行くと、地上の風景は荒涼としたパタゴニア独特の光景になって行くのだと思う。チュブ州の住民が集まっているのは、殆ど大西洋岸の町で、それも、州入り口に近い北部の、プエルト・マドリン、ロウソン、テレレウ、ガイマンと、南部のコモロド・リバダビアくらいであろう。

  プエルト・マドリンは、ブエノス・アイレスから凡そ1400キロ、高速バスで20時間かかる。すぐ近くのテレレウと共に、英国人移民が開拓した町で、自然保護地区の、バルデル半島観光の起点になっているリゾート地である。首都からかなり離れているのに、洒落たブティックや気の効いたレストランなどもある。

  海岸の遊歩道も綺麗に整備されていて、ブエノス・アイレスと違い、紙くず一つ落ちていない、明るい楽しい町だ。それに、なによりも嬉しいのは民芸品店がやたらに多いことである。これらの店では、オニクスや木彫りの動物人形とか、やはり木彫りでできた置物などの他、ペーパーナイフとか栞、小物入れなどの文具品などが売られている。

  日本の観光案内書には、テレレウが州都なので、あたかもチュブ州を代表する町のように書かれているが、テレレウは、ただ、だだっ広くて埃っぽい通りの両側に、低い建物が並んでいるだけの退屈な町で、見るべきものは、化石や古代の石などを陳列した博物館以外目ぼしいものなどない。むしろ、ちょっと奥に入った、ガイマンの町の方が行く価値はある。ここには、英国人が経営する、ウエールズ風の建物の喫茶店が何軒もあり、美味しい紅茶とケーキの、飲み放題、食べ放題のサービスをしてくれる。

  州南端のコモドロ・リバダビアは、軍港の町で、マルビーナル(フォークランド)戦争の時には、アルゼンチン軍はこの港から出撃した。戦争当時はさぞや活気があったことと思うが、町に溢れたのは負傷者や、損傷を受けた艦船ばかりで、挙句の果てに戦争に負けたのでは、それもただの痛ましい記憶でしかないであろう。平和が戻ってきてからは、アルゼンチンの南大西洋の漁業基地として栄えており、日本の漁船が立ち寄ったり、日本向けの水産物缶詰工場もある。漁船は漁獲物を船上ですぐに冷凍箱詰めされ、港に着くと飛行場に直行、ブエノスアイレス空港から輸出される。 スーパーなどの魚介類で、アルゼンチン産とあるのは、殆どがこの辺からきたものである。

  チュブ州の唯一の観光地、バルデス半島は大西洋に突き出た斧のような形をした半島で、広さはシンガポールと同じだと言われ、半島全体が自然保護地域になっている。プエルト・マドリン市街を出ると、大地は一面砂混じりの荒野で、棘を持った針鼠のような"パイロン"、葉っぱが針のような"ハリージャ"、五月(さつき)に似て生垣にでも使えそうな"キリンバイ"それに、タンポポのような小さな黄色い花が咲く"ボトン・デ・オーロ"など、寒気に強い植物が一面に生えていて、パタゴニア独特の強い寒風が常に吹き荒れている。

  海岸の岩混じりの砂浜には、ゾウアザラシがたくさん寝そべっていて、近づいてもめったに動かない。これでは、保護をしなければ忽ち絶滅してしまうだろう。アザラシの生息地とは別の海岸にはオットセイの群生地があり、大小合わせて数百匹のオットセイが、活発に動き回っているのが見える。季節によって鯨や鯱が良く見える。

  自然保護地域でありながら、マリン・スポーツの基地にもなっているが、設備は誠にお粗末なものだ。広い半島なので、さぞや陸上の動物もたくさん見られると期待していても、陸地には僅かに、羊、牛、リエブレ(野兎の大きいもの)とグアナコ(南米に住むラクダ科動物で一番小さいもの、ペルー編参照)が散見できるだけである。

  プエルト・マドリンからさらに150キロほど南下すると、プンタ・トンボと言う、マゼラン・ペンギンの保護生息地がある。ここでは、海までかなり離れた砂地の上を、ペンギンがたくさん歩いている。ペンギンとは海岸の砂浜に住んでいるものとばかり思っていたが、全然違うのである。勿論海岸にもいるが、それは餌を獲るために海に出入りしているのであって、巣は、海岸から1キロほどの範囲の砂山の、ハリージャの木の根元に穴を掘って作っている。保護されているせいか人間をちっとも怖がらない。

  ペンギンと一緒に歩きながら周りをよく見ると、巣の中や根元に倒れている雛がたくさんいる。これは、自然の繁殖制御の法則だそうで、通常一つがいの親鳥は3〜4個の卵を産むが、親は海まで往復2キロもある距離を、魚を口に含んで帰ってくるので、育ち盛りの雛全員に十分に食べさせるだけの量は持ってこられない。そこで、餌の取り合いになり、強い雛だけが生き延び、餌を食べられなかった哀れな雛は餓死する。

  こうして自然の淘汰が行われる。しかし、さらにその後、一人前になって南極方面へ移動する途中には、天敵の鯱が待ち構えているので、結局常に平均した数に抑えられていると言われる。動物の世界も生き残るのは厳しいものだ。

  チュブ州の南には、さらに、サンタ・クルス州、ティエラ・デ・フエゴと続くが、これらの土地については、残念ながら行く機会がなかったので紹介できない。しかし、この辺りは羊を飼う牧場が点在している程度で、普通の人間の住む所ではないと思う。

  一年中強風が吹きまくっているので、低い潅木は皆枝が北に捻じ曲がり、夜の静けさは、4キロ先の針の落ちる音が聞こえるほどだ、などと例えられている。近年では、地球最南端の町として知られるウスアイアには、アルゼンチン政府の優遇税制のお陰で、多くの工場が進出しており、日本の家電メーカーも幾つか操業している。

  南極大陸は何処の国も領有権を主張してはならない所と聞いているが、アルゼンチンは、そんなことにお構いなく、西経24度から74度までを、堂々と我が領土と決め付けている。南極の地図を見ると、鼠の尻尾みたいに南米大陸方面に出っ張っている所だ。領有権の裏付けのため、かって、妊娠している女性をわざわざ南極大陸に運び、ここで出産させてアルゼンチン国籍を付与すると言う手段をとったことがあった。この話がその後どうなったのかは知らない。

  駆け足で周った、ブエノス・アイレス州を除く各州巡りも、これで終わる。アルゼンチンという国の輪郭を多少なりともお分かり頂けたらば幸いである。

(つづく)

アルゼンチン編 第2部 ブエノスアイレス No.1へつづく