【 アルゼンチン (第2部)】 No.3 ブエノス・アイレスぶらぶら点描 その2 <日本にあるものないもの> このホームページの最初の作成は20年位前である。その後、友人達の情報で出来るものはアップデートして現状に合わせてきたが、友人達がみな亡くなり、その後の街の様子は分からないことが多い。21世紀も20年以上経った今、正確なことは分からない。間違っているかもしれないことを、予めお断りして、日本に有ってブエノス・アイレスには無いもの、また、その反対にブエノス・アイレスにあって、日本にないものを挙げて見よう。 ★まず、日本にあってブエノス・アイレスに無いものを挙げると、 @ パチンコ。輸入したい人はいるようだが、政府が絶対に許可しない。こんなものが入ってきたら、遊び好きなポルテーニョは、一遍で虜になってしまうかもしれない。 A自動販売機。飲み物の自動販売機は屋内にはあるが、外に置いて24時間自由に買えるような状態の販売機は無かった。外に置いておくと、そっくり持って行かれかねないので、やはり、保安上の問題だろうと思う。煙草の自動販売機は一時あったが、その後なくなってしまった。 Bカーナビ。10年前頃まではあまり普及していなかった。アルゼンチン人の車に対する哲学は、走るのに最低限必要なものだけを標準装備すればよい、と言うもので、新車で買うときは、ラジオもクーラーもない。欲しい人は後からオプションで付けるのが普通である。ましてや、道路は碁盤目で番地もきちんと付いている街を走るのに、カーナビなんて不要品であろう。 Cスティック・シュガー。ブラジルもそうだが、アルゼンチン人のコーヒーの飲み方は、普通"チーコ"と言う小さいカップで、ミルクは入れず、砂糖は砂糖壷からたっぷり入れて飲む。3gとか6gの少量では物足りないからだと思う。砂糖なしとかアメリカンなんて言う飲み方は、コーヒーの宝庫ラテン・アメリカでは邪道のようだ。 Dその他。 タクシーの自動ドアー。おれおれ詐欺。 定額給付金。 ”物価の値下り” などなど。 ★反対にアルゼンチンにあって日本ないもの。 <ちょっと覗いて見たい所> 広い墓地を囲む塀は、内側が火葬した骨壷を安置する棚になっている。土葬用地の土は、いつも油が染み出したようにじめじめしている。しかし、十字架の林立する墓地は、日本の墓のような陰鬱なムードはなく、むしろ、公園のような感じである。 パンテオンの一角に、不世出の名歌手、カルロス・ガルデルの霊廟があり、ガルデルの銅像の右手には常に煙草が絶えない。迷路のような墓地内で、ガルデルの霊廟だけは、遠くからでも煙草の煙ですぐ分かる。ガルデル以外にもタンゴの有名なマエストロ(巨匠)の墓があり、往時の颯爽とした舞台姿の銅像が立ち並んでいる。 もう一つのレコレータ墓地は由緒ある墓地で、全部が霊廟であり、所々には神々の彫像が立ち、彫刻や装飾が施された霊廟の多くは、国の文化財に指定されている。周囲は文教風致地区で、付近には、各国大使館、国立美術館、国立大学、テレビ局などがある。 "エビータ"こと、エバ・ペロンの霊廟もここにあり、扉には一年中花が絶えない。1996年に製作された映画「エビータ(主演マドンナ)」は、エビータの人格を侮辱した個所があると言って、当時の政権党ペロン党が撮影に反対した。市内でのロケには、群集の乱暴を防止するため、厳重な警戒態勢が敷かれたりもした。これに対抗して、地元アルゼンチン映画界は、"エビータ・歴史の真実"と 称する映画を、政府の後援で作成した。 パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と合わせ、世界3大劇場との一つと、ポルテーニョが自慢するコロン劇場は、良き時代を反映した数ある名建築物の中でも、一際由緒あるものである。5月から11月のシーズンには、オペラ、バレー、クラシック・コンサートなどが催される。年に数回ある"グラン・アボーノ"と言う日は、正装した紳士淑女が集まり、普通の服装をした者は入場させてもらえない。この辺りにも古い伝統と格式を重んじる国民性を見ることが出来る。 ラテン・アメリカ諸国は、1980年代に猛烈な経済危機に見舞われ、破算寸前まで落ち込んだ国もあった。この時代を「失われた80年代」と言っているが、努力の末、赤字垂れ流しの国営企業などを民営化して、外資を導入するなどして立ち直った。1990年代に入ってからは、逆に驚異的な経済成長が続き、アルゼンチン経済も活況を呈した。しかし、民営化により国庫に入った多額の外資が、経済発展に有効に活用されないで、偉い人たちの懐に入ってしまったり、ペソの固定相場に固執したため国際競争力を失い、またまた経済危機が発生し、デフォルト(国の破算)の危機に何度も直面してきた。現地に住む友人から便りがあるたびに心が痛むのを感じたものである。2005年3月、アルゼンチンは外債の額面を75%カットして、さらに償還を35年とする大胆な手段を取った。IMFへの借金も返した。幸いにして、21世紀に入ってからの世界的な経済発展のお蔭もあり、久々に何とか安定した経済活動が行われるようになってきた。しかし、それもまた衰退し、2020年ころからは、またまたおかしくなっている。 1990年代前半の活況期に、市内のあちこちに、ガレリアと称する大型ショッピング・センターが出現した。建物の中央部がアトリューム(吹き抜け)になっていて、その周囲に店が並んでいる形式である。その中でも、市内随一の繁華街フロリダ通りに出来た、ガレリア・パシフィコは草分的存在である。フロリダ通りや、このガレリアにあるブティックから、ヨーロッパできた最新モードが国内に広がっていった。 市内には民芸品や特産品の皮製品などを売る店は数え切れないほどあり、日本人の店員がいる店もある。ブエノスアイレスの土産物は、やっぱり革製品が真っ先に挙げられる。鞄・コート・ハンドバッグ・手袋・ベルトなどである、そしてタンゴにまつわるものすべて、石類になると、オニクスやラピスラスリなどの輝石製品、金銀製品、装飾品、置物などなど、アルゼンチンを代表する品物と言えよう。 この他にも、市内には、入って見物する価値のある、美術館、博物館、教会、由緒あるコンフィテリーヤ(喫茶店)、タンゴにまつわる家など数限りない。さすが南米で一、ニを競う大都会であり、魅力溢れる街である。 そして、ちょっと郊外に足を伸ばせば、エビータが建設した「子供の国」とか、アルゼンチン全国から信者が集まる、「ルハン聖堂」とか、日本にも来た恐竜の化石のある「ラ・プラタ博物館」など、時間に余裕のある人には退屈させない見所はたっぷりある。 (ブエノス・アイレスぶらぶら点描 終わり) |
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