【アルゼンチン (第2部)】
No.5 ブエノス・アイレスの民芸品
ブエノス・アイレスで手に入る民芸品のうち、人形類は、タンゴとガウチョに纏わるものに尽きる。なかでもタンゴを踊っている人形は、陶器、金属製、プラスチック製、木彫りなどでできたものが沢山ある。その他にも、タンゴをデザインした絵や壁掛け、置物用の額皿、食器、物入れ、装飾品など様々な形のものが無数にある。
しかし、タンゴの人形類が出回るようになったのは、それほど昔ではない。おそらく、タンゴがアルゼンチンの代表的文化として、世界中から熱い目をそそがれるようになり、また、観光客の土産品として、外貨獲得の有力な資源となってきた、1950年代当たりからではないだろうか。
しかし、これほど色々な人形が作られるようになったにも関らず、私が80年代半ばから探していても、どうしても手に入らないものがある。それは、布でできた衣装を着て、タンゴを踊っている、ごく普通の人形である。ところがこれが、駐在中にブエノス・アイレスはおろか、アルゼンチン中を捜しても、なかった。あれだけ探してもないのは、作っている人が居ないからだと思う。 逆にガウチョの人形は布製のものばかりなのである。ブラジルのサンバ人形だって、ペルーやボリビアのインディヘナの人形だって、チリやコロンビア、エクアドルの人形だって、みな布製の服を着ているのに。タンゴだけがない理由をあちこちで聞いたが誰も知らない。 中には、どっかで見たなどと言う人もいたが、結局、これも、知らないのに、知ったかぶりをする、ラテン気質の表れの一つだと言う事に気がついた。これだけが、私の民芸品コレクションの中で唯一心残りがする人形である。 人形類の他に、ブエノス・アイレスの市内で手に入る民芸品は、オニクスや陶器、木彫り、それに毛皮で作られた、動物や鳥の人形や置物、壁掛けなどの他、ガウチョの使う品物、民芸調の家具や食器類などなど、さらには、皮製の小さな袋物類やキーホルダー、ペーパーナイフ、ペン立て、灰皿などの実用品まで、誠に多種多彩である。 <オニクスのギター>
嘘か本当か分からないが、このギターは市内に二つしかないと言われたものである。長さ52センチ、幅20センチあるが、一つのオニクスで出来ていれば相当の値打ちがあるのだろうが、残念ながら、表と裏が張り合わせてある。それでも、これは私のコレクションの中でも値打ちものの一つである。(今は人に譲ってしまい無くなった。)
<カミニート通りの人形屋>
カミニート通りには、大勢の自称芸術家が集まってくる。特に日曜日には、無名の絵描き、人形作家が、観光客相手に、将来値打ちがでるから今のうちに買っておけと押し付ける。色々の人形があって、見るのは楽しいが、やっぱり布製のものはない。 <銅製人形>
20年近く前に手に入れたものだが、この作者はとっくに死んでしまったので、もう絶対に手に入らない貴重品である。作っているところを一度見たが、ピカピカ光る銅板をわざと酸素バーナーで焼いて、年代物に見せるのだ。銅板を曲げて作るので、体の部分はごつごつしているが、人物の表情は極めて繊細で、タンゴに酔いしれている、うっとりとした感じが実に良く表現されている。 <ドレゴ広場の日曜市>
ドレゴ広場については、すでに前の項で述べたが、古い民芸品を漁るのには絶好の場所でもある。しかし、民芸品や古い家具、食器、カメラ、楽器、レコード、宝飾品などの他に、ドアーの取っ手とかパイプの切れ端やら、訳のわからないガラクタまで雑然と並んでいる。被害に会ったことはないが、掏りのメッカとも言われている。住んでいる人は、ポケットのボタンさえ掛け忘れなければよかったが、旅人となると、パスポートや多額のお金類が入っている鞄を幼稚園掛けにして、しっかり手で抑えて歩かなくてはならない。 <古いラッパ型蓄音機>
テレビのドラマなどで、たまに部屋のインテリアとして、古いラッパ型の蓄音機が置いてあるのを見ることがあるが、あの手の蓄音機はブエノス・アイレスでは幾らでも手に入る。レコードが出る前の音源には、筒型をした蝋管を使った蓄音機があるが、これだってちゃんと売っている。しかし、買いたいと言おうものなら足元を見られて、かなり吹っかけられる。小型で所々の色が剥げているのでも言い値は2000ドルくらいする(2020年頃になっては、いくらぐらいするか分からない)。ラッパが大きくて、色が綺麗なのほど高い。大体このようなものに興味を持つ人は、古いドーナツ版のレコードをわざわざ聞くために買うのではなく、コレクションとしてとか、転売して儲けようとする目的ではないかと思うが、旅先で気軽に買える代物ではない。 <オルケスタ人形>
私がブエノス・アイレスに住んでいた頃は、民芸品の人形と言えばガウチョのものと相場が決まっていたほど、タンゴの人形は少なかった。それが90年代になり急激に増えた。中でも、此処に紹介するプラスティック製の楽士の人形はあちこちで見られる。高さは15センチ位だが、丈夫に出来ているので、ちょっとやそっとでは壊れない。旅行鞄の隅に押し込んでも大丈夫だ。弾いている楽器もバンドネオンを始めギターラ(ギター)、ビオリン(バイオリン)、コントラバッホ(コントラバス)などが揃っているので、好きなオルケスタ編成ができるし、歌手もダンサーのものある。写真の右側にあるのは、鋳物でできた人形である。 <陶製の人形と壁掛け、置物>
陶器の人形にはガルデルとかピチューコ(アニバル・トロイロ)などの人形があり、特徴を巧く捉えているが、中が空洞で壊れ易い。また、タンゴの踊りを画いた木彫りや陶器の壁掛けや置物、それに絵葉書大の絵を台板に貼り付けただけのパネルもある。 <タンゴの踊りの絵のパネル>
人形や壁掛け、置物の他にも、有名なタンゴの曲に因んだ背景に、踊の絵を画いて、厚紙に貼ったパネルも何種類か出回っている。90年代に亡くなった有名なタンゴ絵の画家、アルフレッド・パストールの特徴ある絵の物は、そこそこに高い。 <ガウチョの人形>
ガウチョだけのものや馬と組み合わさったものなど、昔から沢山あった。しかし、ガウチョを題材にした民芸品は、タンゴのものと合わせ、ブエノス・アイレスならではのものである。アルゼンチンには国が二つあると言われているように、国の南半分と北半分では、地勢や気候、生活習慣など色々の点で違うことが多い。コルドバ辺りから北は、丘陵や山岳地帯が多く、牛を放牧に出来る場所が少ないので、必然的にガウチョが生活するには適していない。そのため北部ではガウチョには余り縁がないのである。独立戦争のガウチョの英雄マルティン・グエメスが、北端のサルタ州の出身なのは、皮肉な取り合わせである。 <マテの容器>
マテ茶はガウチョが牧場で焚き火を囲み皆で廻し飲みをするので有名だが、都会でも勿論飲む。飲み方は、容器の口元まで一杯にマテの葉を入れ、一度入れた茶に何度も湯を足し、砂糖を入れて、煙管のような形のボンビージャで飲む。ボンビージャは、手で持たないのがエティケットである。砂糖を入れないのをマテ・アマルゴ(苦いマテ)と言う。 <マテ容器のコレクション画>
容器の材料は瓢箪が一般的だが、これに金属で装飾を施したものや、高級なものには銀製もあるし、木を刳り貫いたものもある。
マルビーナス(フォークランド)戦争当時は、この戦争で一儲けを企んだ腹黒い奴らが、直径10センチくらいの木を刳り抜いただけのお粗末なマテに、マルビーナス諸島の地図を書き、マルビーナスはアルゼンチン領だと勇ましい文言を書き込んだ物を街角で沢山売っていた。 <正装したガウチョと飾りをつけた馬>
もっとも典型的なガウチョ人形である。馬は本物の馬の皮で出来ている。正装の上着は縁取などの模様で出身地や身分が分かるようになっている。首に巻いたスカーフは暑い日の日除けや、夜に野外で寝る時は後頭部から首に巻いて虫除けにする。ブエノスアイレス郊外の、サン・アントニオ・デ・アレッコという町では、毎年正装した全国のガウチョが集まる祭典があり、集団の馬術演技には6万人ものの観客が集まる。 <ガウチョの踊り>
ブエノス・アイレス郊外には観光用牧場が幾つかあり、毎日外国人観光客で賑わっている。そこでは、豪快なアサドを食べさてくれ、食後には、舞台でガウチョの踊りを披露しくれる。フォルクローレの伴奏で踊るのであるが、特に、後半に見せる、ボレアドール(ダチョウを取る投げ縄)を巧み操る踊りには、観光客の拍手が鳴り止まない。 <ガウチョ・グッズ>
幅広のベルトには自国のコインの他に、外国人と接した時に記念に貰ったコインを勲章のように縫い付けてある。真中の大きいバックルは、敵との接近戦のときに相手の武器から身を守るために役立つもである。ベルトに差したナイフは、ファコンと言って、肉を切ったり、森で樹の枝を払ったり、さらには、牛の皮を剥いだりと、万能な刃物である。フエルト製の帽子は水を飲むのにも使われる。鐙や鞭にも装飾があり、民芸品的要素を持っている。 <ボレアドールを使うガウチョ>
一人前のガウチョになるには、馬を乗りこなして牛を追うだけでなく、ボレアドールをダチョウの首に投げるか、足に絡ませて生け捕りにする技をマスターしなければならない。 <ガウチョが着るポンチョ>
アルゼンチンのガウチョが着るポンチョは、ペルーやボリビアのカラフルなものと違い、色は赤、黒、灰、茶などが主体で、模様も全面にはなく、縁取りするようなもので、全体に地味なデザインである。サルタ出身の独立戦争の英雄グエメス将軍が着た、赤地に黒線の入ったポンチョがアルゼンチンのポンチョの代表的な模様である。
<木彫り・馬に乗るガウチョ>
鞭を振るって馬を調教しているガウチョの姿である。ガウチョは牛を追うために、馬を自由に操ることが出来なくては勤まらない。そのために、馬がガウチョの命令に絶対に従うように調教するのだが、3、4歳馬になると、野性が染み付いていて、なかなか言うことを聞こうとしない。それを、縛り付けたり、叩いたりして服従心を植え付けるのだが、これが出来ないガウチョは一人前とは言えない。この木彫りを作ったのは、ビジャルバと言う有名な彫刻家で、この他にも優れた作品がある。 <ガウチョと馬>
観光牧場でガウチョが沢山の馬を整然と並ばせたり、走らせたり、さらには、走りながら、小さな輪に針のようなものを通す芸当まで見せてくれるが、こうなるまでには、自分自身の並々ならぬ訓練と調教を行ってきたのである。 <木彫り・パジャドール>
この木彫り彫刻も、ビジャルバの作品である。ガウチョは、スペイン人の移民の子孫で現地で生まれた白人である。かっては野生の牛を捕まえることを職業としていたが、世間からは"ならず者"と言われていた。17世紀の独立戦争当時は、その活躍振りから英雄視されたが、次第に社会の進歩を妨げると疎まれるようになり、社会の表から姿を消した。その後、1872年に、詩人のマルティン・フィエロが、ガウチョの伝統的な生活を描いた小説を発表したところ、これが、急速な近代化に不満を持った人々の共感を呼び、大ヒットした。この思想が、パジャドールと言う、ギターを弾きながら即興的な詩を歌う、吟遊詩人に受け継がれてきた。
しかし現代では、ガウチョの祭典の場所位しかパジャドールに出会うことはなくなってしまった。ガウチョは今では、アルゼンチンの国民的象徴になっている。 (ブエノス・アイレスの民芸品 終わり)
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