アルゼンチン・ワイン物語


≪2. 大衆ワインの高級志向≫

  アルゼンチンでは、高級ワインは元来嗜好品的存在であったが、ここ20年ほどの間で国際市場におけるシェアーを急速に伸ばしている。その理由は二つある。
  一つは、政府の後 押しによって、貿易の重要品目となったワインのために、従来からのイメージを変えるために、資本とノウ・ハウを持ち込んできた外国企業との提携である。20世紀末の5年間の外国資本の投資額は3億ドルに達したと言われている。外資が目をつけた本当の理由の一つには、ヨーロッパの主要生産国のワイン畑が飽和状態になりつつあり、これ以上の増産が見込めないことがある。この傾向は国土が狭いチリでも同じである。
  2005,6年頃の統計(資料の作成年が正確には不明なため)による世界の国別ワイン生産量のランクでは、フランスがトップで僅かに遅れてイタリアが続き、以下スペイン、米国、オーストラリアと続きアルゼンチンは第6位であったが、チリはベスト10にも入らない。しかし、少し古いが2006年の統計によると、4位までの順位は変わらないが、6位のオーストラリとアルゼンチンが入れ替わった。各国の生産量は、フランス=537万kl(キロリットル) イタリア=530万kl スペイン=383万kl 北米=210万kl  アルゼンチン=170万kl となっている。

  葡萄栽培に適した地域は南緯20度の南回帰線(太平洋岸はチリのアントファガスタ辺りから大西洋岸はサンパウロ付近を結ぶ線)から南緯40度辺までであるが、アルゼンチン国土は南緯25度辺りから南になる。メン ドーサ地方を始めとするアルゼンチンのワイン生産地は、葡萄栽培に適した砂地、ローム層などの鉱物性土壌で構成され、温暖な気候、アンデスから吹き降ろす風で冬は乾燥して極端に気温が下がらず、夏は湿度が低く雨が少ないなど、全てが葡萄栽培に最適である。さらに、アンデスの雪が解ける豊富な水に恵まれるなど好条件が重なっている。現在の栽培面積は凡そ25万ヘクタールだが、まだ未開発の土地が沢山ある。多くの専門家は、アルゼンチンは21世紀には葡萄栽培の天国になるだろうと言っている。その証拠に、メンドーサの南のツプンガト地域は、数年前までは只の原野だったのが、今では立派な葡萄畑に変わった。更に南緯50度まで栽培できる品種を開発した。またつい最近(2023)には、北欧のスエーデンが地球温暖化を先取りして、北緯60度でも栽培できる葡萄を開発したとのニュースもある。反対の南緯60度は南米大陸南端と南極の中間にあたる南極海になる。そうなるとアルゼンチンの葡萄栽培は南は国の端まで可能になる。
 
≪下の写真≫ 南部アンデス山脈の東側に広がる広大な葡萄畑。南緯25度から40度にかけての平野には国内葡萄畑の凡そ70%が存在する

  今日までワイン生産を行ってきたのは、メンドーサ州、サルタ州、ラ・リオッハ州、サン・フアン州、フフイ州、カタマルカ州などであるが、この他にも南部のリオ・ネグロ州とかチュブ州などのように、まだ生産量は少ないが、本格的な開発を待つ広い土地がある。以前から試験的栽培が行われているが、この辺りは冬の気温がかなり低くなるため、低温に強い品種を探さなくてはな らない。醸造業者の中には、”世界で一番南端の葡萄”と言うことをキャッチフレーズにして既存業者との競争に参入した業者もいる。チュブ州の北のリオ・ネグロ州の、ドマイネ・ピスタルバ醸造のファブレ・モントマジョウ(メルロ)とか、カナーレ醸造のウンベルト・カナーレ(カベルネ・ソービニョン)などが日本に輸入されている。

<左の写真> 収穫期には大勢の労働者が籠を背負ったり担いだりして穫り入れる。一籠で幾らの出来高払いである
  しかし、アルゼンチンの醸造業者としては、高級ワインが売れるようになってきたからと言って、従来の大衆品種の葡萄の木を高級品種に植え替え、収入になるまでには6〜8年間は我慢 しなくてはならず、この間の資金繰りが大変である。これだけが理由ではないが,輸出を強化する必要に迫られて来た結果、外国企業との合弁提携が活発に行われるようになってきた。ワイナリーの近代化が始まったのは1990年頃からで、フランス、北米、イタリアなどから最新式の醸造機器が導入され、合わせて技術者や専門家の交流が進み、生産するワインのコストパーホーマンスが高まり、高級品種の生産が急速に伸びてきた。(先に述べたヨーロッパのワイン生産の土地が満杯になってきたことも大きな理由と考えられる)。
  ワインの世界市場は2006年ころまでは苦戦を強いられたが、アルゼンチンワインの輸出は2007年以降、金額において43%、量において34%と増加している。このような市場の拡大により、1990年以前には輸出業者は20社程度しかなかったのが、現在では数十社にも増えてきた。この間には規制緩和とか税制の改正などが行われたのではないと思う。ボデーガ(ワイナリー=醸造業者)の名称も私が駐在していた頃にはなかったものが数多く見かけられるようになり、全国には2000以上のボデーガが存在すると言われている。
  アルゼンチンワインの主な輸出先は、米国、英国、ロシア、日本、それにスカンジナビ ア諸国などである。また隣接のウルグアイ,パラグアイ,ペルーなどへも輸出しているのは当然である。これらは殆どが750CCの瓶詰であるが、5年ほど前までは、コ ンテナの中に入れたゴム容器に詰めたバルクと言う方法であった。ウルグアイ、パラグアイ、ペルーでも生産はするが、高級品はアルゼンチンから輸入している。またペルーには、ピスコという世界ブランドのブランデーがある。

 
≪右の写真≫ 近代化の結果トラクターによる穫り入れも行われるようになってきた
  古い話になるが、かって山梨県でワイン騒動があった。この時、今後増量に使ったワインの原産国表示をするかしないかで大揉めになり、業者は徹底的に反対した。理由は、原産国名にアルゼンチンとかチリなどの新世界ワインの国名を入れると売れなくなるからである。

  当時南米ワインの輸入をしていた商社の人は、大袈裟に言えば国産大衆ワインは、 チリ・ワインみたいなものだと言っていた。バルクやステンレスの樽に入れたワインを、チリのバルパライソ港から船で赤道を越えて、50日も掛けて揺られてくれば、味が変わってしまう。ワインは木の樽に詰めてこそ、木肌を通した自然の呼吸で旨さが保たれるのだ。このような輸入ワインを混入していることが分かると、売れ行きに影響するので反対したのである。その頃、瓶詰めのアルゼンチン・ワインも僅かではあるがあった。しかし、アルゼンチン国内で販売されるものが其のまま輸入されていたので、防腐剤が入っておらず多少味が落ちていたものだ。

  世界のワイン生産の大部分は、フランス、イタリア、スペイン、ドイツ、チリ、アルゼンチン、米国、南アフリカ、オーストラリア、ポルトガルなどの国々で分け合っている。このうち、ヨーロッパの伝統的ワイン生産国以外で造られた製品を、国際市場では一纏めにして”新世界のワイン”と呼ぶ。フランスやイタリアを除くワイン生産国の葡萄苗木の発祥国は大体同じであるが、各国は競争に勝ち抜くため、独自の特徴を持つように品種改良研究を行って来ている。

  葡萄の歴史で忘れてはならない大事件がある。1862年、南フランスのボデーガのオーナーが、米国から新し苗を持ち帰って植えた、これに、フィロキセラというアブラムシ(日本名ぶどうねあぶらむし)が就ており、10年間に渡ってヨーロッパの葡萄畑の2/3に蔓延し、ほぼ全滅した。この時、チリの葡萄苗がヨーロッパに逆輸入され大いに貢献したと言う歴史がある。チリは、東はアンデス山脈、西は太平洋、南北も山に囲まれた閉鎖状態のため害虫が入り込めない地勢になっていたためである。

  オーストラリアはシラー(赤)を、 ニュージーランドではソービニョン・ブランコ(白)を、南アフリカではピノタッヘ (赤)を、米国のカリフォルニアではシャルドネ(白)をそれぞれ主要品種として栽培し、品質向上を図っている。自尊心の高いアルゼンチンは、新世界のワインと呼ばれるのを嫌い、独自の戦略を描いてきた。
  例えば、マルベック(赤)はフランス原産で、数十年来メンドーサ地方で栽培され、主としてテーブル・ワイン用に醸造されてきたが、今で はアルゼンチン・ワインのアイデンテイテイを持った独特の品種に変わり、白のトロンテッスと並びアルゼンチン・ワインを代表する品種になっている。
 (つづく)