ま え が き
  カルロス・ガルデルの伝記には常に神話めいたミステリーがつきまとっていた。ガルデルの生誕100年目にあたる1990年12月9日のブエノス・アイレスの日刊紙クラリン紙の記者と、ガルデルの親友エドムンド・ギボルとの対談の中で 「神話というものは、みな純化した荘厳なものである。しかし、ガルデルの人生は生まれながらにして神話的なものを持っていた。たとえば、”何処で生まれたのか”とか”父親は誰なのか”などがそれである。このようなミステリーが彼の神話と伝説を創り上げたのである」 と語られている。
 1935年6月24日にコロンビアのメデジン空港で、搭乗した飛行機が離陸した直後に墜落して楽団一行と共に死亡したのが確認されているにもかかわらず、その後コロンビア北部の農園で1965年ころまで生きていたなどと、信じられない話も伝えられている。 (この話はこのホームページの「メデジン空港の事故の謎に迫る」に掲載してある) このような神話は偏に、ガルデルの母親とか出生場所、生年月日がはっきりしているにもかかわらず、父親が誰であるかが分からなかったことに起因している。
 ガルデルの父親については、ずっと後になってフランス人の商人パウル・ラセレと言う人が父親だという説が流され、誰もこれに反論しなかったためにこの説が定着してきた。 ところが、1967年7月、ガルデル(本名カルロス”
フランスで誕生したときはチャールス”・ロムアルド・ガルデス)の、また従姉妹にあたる女性が親族会議の席上で、一族の長年の秘密であったガルデルの父親の名前を明らかにした。この話は特に世間に公表されなかったが、一族の一人が、ガルデス家のルーツからガルデルの両親の関係、出生が何故秘密にされてきたのかなどを明らかにしようと思いたち、フランスまで行って調査し、ガルデルの秘密とされてきた一切の過去を発表した。テレビでも記者会見が行なわれ、発表と同時アルゼンチン国内で大きな反響を呼んだことは言うまでもない。
 80年近くに渡りガルデルの父親が秘密にされてきた理由は、父親と母親が従兄妹同士の近親相姦であり、さらに父親が聖職者だったため、当時のフランスの厳格な道徳感にもとる行為として世間の非難を浴び、一家はフランスを棄ててアルゼンチンヘ逃避した。その後、父親は学校を創立、教育者としての人生を送っていたため、不道徳な過去を一族が団結して秘匿してきたためであることが最大の理由である。
 日本でもアルゼンチンでも、カルロス・ガルデルはウルグアイのタクアレンボという都市で生まれたと言う説を信じている人も多いようであるが、色々資料を読んでみると、やはりフランス生まれの説が信憑性があると思えるのだが、それはこの文を読んだ方がご自分で判断されることであろう。 
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