<カルロス・ガルデルの出生の真実> 第5章 ガルデルの母、ベルタ・ガルデスの幼年期と思春期 カルロス・ガルデルの母親になる、ホセの従姉妹ベルタ・ガルデスは、1865年6月17日、フランスのツールーズで生まれた。その人となりついて家族は、「背が低くて小太り、話声は優しく、歩き方はゆっくりしており、性格は控えめで、植物や小鳥を可愛がっていた」と話している。前述のように、ベルタは9歳の時に両親が離婚したため、セント・ジェニエ・ドア村の伯父夫婦の家で、ホセを長男とする従兄弟妹と一緒に幼年時代から青春時代までを過ごした。従兄弟の一番上のホセは6歳、次男のペドロは4歳、エドアルドはまだ生後数ヶ月たった頃のことであった。その後アントニオ、ルシアーノ、マリア、フェリックス、セシリア、一番下のフランシスコが次々に生まれ、ガルデス家の家族は増えていった。 ドア村の石造りの質素な家は、高い丘の中腹を背にして建っていた。この地方の習慣で、豚や牛は家畜小屋になっている家の1階で飼われており、2階が台所と野菜や食料などの貯蔵庫と寝室になっている。3階は家畜の飼料倉庫で、丘の高いところに通じる細い道に出られるようになっていた。丘の麓からは小川が流れていて、その水を利用して小麦を粉にする水車が回っていた。ここにはよく子供達が集まって遊んでいたが、冒険的な遊びをしてしばしば危険な目にあったりしたのである。 家の近くには500年以上も経ったクルミの木があってたくさんの実をつけ、家族にとって甘美で栄養たっぷりな食料になったり、ときには付近の動物達も食べにきていた。こうした話があるのに、ガルデスを名乗る人達は皆クルミが大嫌いなのは面白い現象である。一族の一人は、「これは先祖がクルミを食べ過ぎたからかも知れない」と言っている。このクルミの木はとても大きくて、幹の洞(うろ)にはベルタや従兄弟達が遊びにきて皆が隠れる事ができた。ある日のこと、洞の中で火遊びをしたため木が燃え出してしまい皆びっくりした。今でもこの悪戯をした子供達の頭の中には、あのときの恐怖の記憶が残っていると言う。 第二次世界大戦の中頃のことであるが、一発の爆弾がこの年老いたクルミの大木に命中し、ガルデス一家の子供達が楽しかった思い出を刻み込んだこの大木は消えてしまった。戦後にこの家を訪れたガルデス家の親戚は、爆弾が命中したクルミの木の跡は深い井戸のようになっていたと証言している。ガルデス一家が住んでいた石作りの古い家は、何の被害も受けておらず、その後、この家は村の歴史遺産の指定を受けたが、1992年に起きた丘の上からの土石流のため流されてしまい、跡形もなくなってしまった。 第6章 ベルタ・ガルデスの悲恋物語 ベルタは従兄弟達と一緒に長い共同生活を送っているうちに、彼女より3歳年下の従兄弟の長男、ホセに対する心に秘めたほのかな愛情が芽生えた。早熟だったホセもベルタへの憎からぬ思いを抱くようなっていった。そして遂に二人の恋は、どうにもならぬ情熱の炎となって燃え上がり、忘れることのできないものとなって、悲劇の終焉まで続いた。 その頃、ホセは、母親ルシア・グレゴイレや叔父チャールスの奨めで、修道生活に入った。チャールスについては、はっきりした記録はないが、ニューヨークで司祭になったと言われている。ホセは童貞の誓いを立てていたにもかかわらず、ベルタへの思慕の念が血を沸きたぎらせ、欲望と心の衝動を押さえることができないまま煩悶の日々を送っていた。二人の気持ちが両親であり育ての親であるルイスとルシアに知られずにいるはずがない。今から110年以上も前(1890年)のことであり、その頃の生活習慣の中では、道徳や品行に関する躾は厳格なものであった。 ホセは休暇で家に帰ってくる度にベルタと隠れた逢瀬を重ね、遂にベルタは身ごもってしまった。ベルタは男の子が生まれることを望んでいた。この事実が親代わりのガルデス一家に対する恥知らずな行動として、ベルタは小さな村の隣人達から非難や中傷を浴びせられた。ガルデス一家はこれ以上家族の一員として、ベルタを一緒に置いておくわけにはいかないとして、彼女を邪魔者扱いにした。家族や周囲の白い目を浴びたベルタの苦労は一筋ではなかった。その後の生涯を、ホセとの情熱的な恋の炎を消す為に苦しみ、涙ながらに暮らすようになったのである。 しかし彼女は、神が世の母親に等しく与えてくれるであろう愛の力と、神の許しを信じて、この重荷に懸命に耐えるよう努力した。姑ルシアの怒りっぽくて頑固で威張りちらす性格のためにベルタが蒙った蔑みと屈辱は、後にこの事を知った人々の涙を誘った。 ガルデス一家の冷たい目から逃げ出したベルタは、セント・ジェニエ・ドア村を棄てて、ツールーズへ移り、ある家の女中としてアイロン掛け職人などをしながら、1890年12月11日午前2時、後のタンゴ界の不世出の名歌手カルロス・ガルデル(本名:チャールス・ロムアルド・ガルデス)を生んだ。ベルタはこの子を自分の私生児と認めた。その後、ベルタと子供は、雇い主夫婦と共に1893年3月にアルゼンチンヘ移住してきた。 こうした厳しい逆境の中でベルタは、神の加護を信じ、母親としての愛と勇気を持ってガルデス一家から受けた迫害を跳ね返し、人一倍濃い愛情に包んで息子を育てていったのである。 ホセとベルタの悲劇的なドラマは、正式に結婚したいと望む二人の願いに頑固に反対した、母親ルシアによって作られたと言っても過言ではない。しかし、希望が幻想に変わりそして挫折したのは、ホセの優柔不断さが一番の原因でもある。この優柔さのためホセは、母親ルシアへの愛と恐怖に挟まれて、長い間心を悩ませたにもかかわらず、幼少時から青春時代までを愛し合いながら一つ屋根の下で暮らした二人で、一つの家庭を築くと言う切実な希望を実現する事が出来なかったのである。 |
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