<カルロス・ガルデルの出生の真実>

第10章
ガルデルの出生に関する親族間の疑問
 話はもどる。1912年頃、22歳になったガルデルは、一人前のギタリストとして、歌手である仲間のホセ・ラサーノと一緒になって、政治集会などを盛り上げたり、セレナータをしながら町から町を回ったり、田舎や都会のあちこちのフェスティバルでは、会場の雰囲気を賑やかにしていた。その頃ガルデルはすでに、”ガルデス”という家族がパンパの近くに住んでいると言う話を耳にしていた。1918年のある日、前年には映画出演を果たし人気上昇中のガルデルが、理由は明らかにされていないが、ルシアーノ・ガルデスと言う人の家に呼ばれた。ルシアーノ・ガルデスは、ガルデルの父親ホセの3番目の弟で、ガルデルにとっては紛れも無い叔父である。この家でルシアーノの長男アントニオ(ガルデルと従兄弟になる)が母親に、「何故この人は、フランスの村の事ばかり尋ねるの、カルロス・ガルデルというところ見ると、ひょとしたらこの歌手はうちの一族じゃないのか」と聞いた。すると母親は「初めて来た人のことをそんなに詮索するものじゃない。この人のことは忘れなさい」 と叱るように言った。アントニオは母親の言い分に納得せず不思議に思っていた。アントニオもガルデルも互いに、本能的に自分達が血縁関係にあることを感じとっていたのかもしれない。
 セント・ジェニエ・ドア村で起きたホセとベルタの恋愛騒動は、母親ルシアが決して許そうとはせず、憎悪と偏見を頑固に持つ続けていたため、ガルデス一族の間ではガルデルの存在は絶対の秘密にされていた。このため、ガルデルは、パンパ近くに住むガルデス一族が、親戚ではないかとの疑問を持ちながらも、遂に死ぬまでそれを確かめる事ができなかったのである。
 アントニオの疑問は、17年後の1935年6月24日、コロンビアのメデジン空港で起きた飛行機事故でガルデルが死んだ後、彼と彼の母親の本名が発表されて初めて解消した。エル・オデオン新聞の記者マリア・フアーナ(ガルデルの異母姉妹)は、自分の新聞にカルデルの悲劇に関す記事を載せ、その中で、ガルデルと彼の母親の本当の姓が”ガルデス”であることが分かったと書いている。同じくガルデルと異母兄弟になるホセ・エウヘニオとルイス・ギジェルモの兄弟(マリア・フアーナの兄)も新聞記事でガルデルと母親が自分達と同じ苗字であることに驚き、親戚じゃないのかとの強い疑念を抱いた。特に強い衝撃をうけ狼狽したのは、異母兄弟とは露知らぬまま競馬仲間としてガルデルと親しかったホセであった。
 驚いた二人の兄弟は、自分達の家族関係を改めて考え、ガルデルの母親のベルタに会って彼女こそが、祖父母の口から聞いていた、父親ホセの従姉妹のベルタなのかを質そうとブエノス・アイレスへ向かった。ホセは競馬仲間のレギサモとガルデルの3人で、日曜日の競馬の終わった後ベルタの家に行き、よく昼飯を食べていた。ブエノス・アイレスへ来た二人は、ジャン・ジョエレ街735番地のベルタの家に行った。ホセはちょくちょく行くのでベルタはちっとも珍しがらなかったが、ルイス・ギジェルモが来たのにはビックリしたようであった。彼女は彼らの素性をよく知っていたからである。
 二人から疑問を打ち明けれらベルタは、脳天を打ち砕かれたような衝撃を受けた。彼女は涙に打ちひしがれ、自分と恋人ホセを引き裂いた悲しみを思い出して涙にくれ、耐えなければならなかった過酷な運命を嘆いた。ベルタは胸の中に湧き上がってくる様々な感情を抑えようとしたが、恐ろしさや恥かしさが入り交じり心は千々に乱れた。しかし、もしかしたら二人の母親になっていたかも知れないことを思い、嫌な話を聞きに来た二人を何故か怒れなかった。ホセとルイスは、しばし顔を見合わせて押し黙っていた。暫くして彼女は息子を失った悲しみに耐えながら、長い物語を聞かせくれた。 ベルタは二人に対し、自分は誰も傷つけたくないこと、常に誠実と寛容な心をもち続けていた若き日の恋人のイメージを汚したくないこと、当時の生活環境が、自分とホセの望みであり夢でもあった二人の家庭を築く事を妨害したことなどを打ち明け、今の自分の心境を理解して、フランスで起きたことの真実は、今後も秘密にしておくことを誓わせ、今日の出会いについても永遠に喋らないことを約束させた。
 ホセとルイスの兄弟は、ベルタの口から語られた告白に大きな感動を受け、喜びと同時に悲しみを胸に抱いてペウアホの家へ帰ってきた。このとき二人はガルデルとの親戚関係を公表する必要があると感じたが、ベルタとの約束がありそれは不可能だと悟った。二人は、自分達がベルタを訪問した事を知った父親からかなり怒られると思っていたが、父親ホセの態度は全く反対であった。父親は息子達に自分の若い頃の過ちを認め、今まで隠しておいたことを謝った。そして、ベルタと同じように昔のことは秘密にしておくように懇願した。
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