第3章 タンゴ つづき 5.タンゴという言葉の起源 黒人クリオージョの若い世代を代表するラサ・アフリカーナ楽団は、彼らが親から受け継いだカンドンベを 「タンゴ」 と呼ぶようになった。しかし、タンゴと言う言葉がラ・プラタ植民地の公文書に初めて現れたのは、その時から半世紀も前の1807年のことである。この年モンテビデオの市民は、時のモンテビデオ総督フランシスコ・ハビエル・エリオに次のような嘆願書をだしている。 『黒人達が、タンボまたはタンゴとも言うカンドンベを毎晩踊り、付近の市民の安眠を妨げているから総督の権限で止めさせるよう布告をお願いしたい。』 だが、これは総督が聞き入れなかったか、または布告が行き届かなかったのか、翌年の1808年に再度モンテビデオ市民は、 『やかましくて市民一同迷惑し困っているから、黒人のタンゴは厳重に禁止すること。』 を要請している。(カビルド・デ・モンテビデオの古文書より) タンゴの語源についてフェルナンド・オルティスの言を引用すると、『タンゴとは、アフリカの黒人が使った言葉から来たものである。中央アフリカのコンゴ、ナイジェリア、アンゴラの黒人達は踊ることをタングー(Tangu) とか、トゥング-(Tungu)、場所によってはティアングー(Tiangu)とも言った。これらの言葉は、彼等が踊るときに使う太鼓が、タン・タンと音がするところからこれをタンゴーと言ったのだが、黒人の踊りに必ずこのタンゴーが使われるので、いつのまにか踊ることが、タンゴーと言われるようになってしまった。この言葉が中央アフリカからラ・プラタ植民市に来た黒人奴隷の間でタンゴと変わったのだが、これには当時の奴隷交易に活躍した、ギニア海岸のボンベイロと言う黒人の種族が重要な役割を果たしている。 新大陸への奴隷交易を始めたのはポルトガル人だが、その仲介をしたのがこのボンベイロで、彼らは早くからポルトガル人など白人と交渉があり、白人に近い服装をしていた。彼らは奥地から連れ出されてきた黒人との間の通訳をしたり、さらに奴隷船に乗り込んで奴隷の監督をしたりした。白人やボンベイロは、船中に押し込めた奴隷が航海中に運動不足で弱るのを防ぐため、時々甲板に連れ出しタンゴーを躍らせた。この時タンゴー踊りと、スペイン語でタニェール(tan~er:打楽器を演奏する)と言う、二つの言葉が一緒になりタンゴと変わって、黒人の踊り全般をさすようになったものである。』と言っている。 6.タンゴ・アンティジャーノ ラ・プラタ植民地の黒人研究で有名なビセンテ・ロシーも、 『ラ・プラタ植民地で黒人の奴隷に関することが公文書に現れたのは1693年のことである、ポルトガル人がモンテビデオに輸入したのものだが、これらの中央アフリカから入ってきた黒人によって 「タンゴ」 と言う言葉が輸入された。モンテビデオに輸入された黒人は、キューバやブラジルに輸入された奴隷と同じような種族であって、新年、クリスマスなどの祭日には、カンドンベを踊り大騒ぎをした。キューバではラ・プラタ植民地のカンドンベがハバネラであり、タンゴ・アンティジャーノ (大アンティル諸島のタンゴ)とも言う。 カンドンベを始めるとき黒人達は、トカー・タンゴー!(toca Tango!; タンゴを弾け) と口々に叫んで、タンボール打ちに催促した。当時、カンドンベを踊る許可を得るための文書にも「ア・トカール・タンゴ」 (A tocar Tando: タンゴを演奏するため)と書いてある。この踊りでタンガ!カタンガ!(tanga catanga) と叫びながらがそのリーダーがタンボールを叩きながら怒鳴ったので、これを タンギート (tanguito)と言った。』 と記している。 これらのことが、後にタンゴと言う言葉が出来るようになった背景である。1886年〜87年にはモンテビデオで、「タンゴ」 と称する ”エル・チコーバ”(黒人訛りのスペイン語でエスコーバ、escoba:箒のこと) という曲が流行した。これは、ラサ・アフリカーナ楽団が作ったカンドンベの一種で、ラ・プラタ植民地で初めてタンゴと名付けられた踊り用の曲である。このほかキューバの古い紀行文の中にも 『タンボールとは黒人がタンゴを踊るときに叩く太鼓の名前である』 とも書かれている。 これらカビルド・デ・モンテビデオの古い公文書や黒人の研究家の言でも分かるように、タンゴと言う言葉は、初めは中央アフリカの黒人が使った言葉であったものが、ラ・プラタ植民地へ黒人と共に渡ってきて、その後、世代が替わるにつれて、黒人の踊り全般を指すものとして使われるようになったものである。 ラサ・アフリカーナ楽団が、古くからあったタンゴと言う言葉を、なぜ彼等のカンドンベにつけたのだろうかという点に関しては、当時の若い世代を代表するこの楽団が、親から受け継いだ音楽のカンドンベという名を、そのまま継承していくことにあきたらず、新しい傾向のエル・チコーバを作ったのだが、それが今までと同じようにカンドンベと呼ばれては、彼らとしては意味がないので 「新しい我々の音楽」 と言うことを表すものとして、古くから黒人の間にある言葉「タンゴ」を改めてつけたものと考えられている。 |
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