第5章 ミロンガ 

1.チーナの部屋
 1800年代の軍隊で下級兵士の娯楽と言えば、クリオージョと同様に休日に近くのブルベリーア(雑貨屋兼飲み屋)へ出かけ、ヒネブラ(ジン)とかグラッパ(焼酎のような安酒)を引っ掛けて、ギターをかき鳴らすか、トランプ遊びを開帳するかなどであった。だが、下級兵士がいつもそんな金を持っているわけがない。従って、普通は休日になると兵営の周囲に住むチーナ(黒人の女房や娘)の家に帰って、彼女たちにマテ茶を注がせ、ギターを弾いて自作の詩を歌ったり、四方山話をして一日を過ごした。また、仲間同士、気の合った連中が独身のチーナの家に集まって、パジャーダをやっていたのが次第に盛んになり、後には一般の市民も加わるようになった。パジャーダとは即興詩のことであり、ギターに合わせて唄う即興詩人(吟遊詩人)のことをパジャドールと言う。アルゼンチンのサントス・ベーガがもっとも有名である。これはケチュア語の「paccala」から来ており、これも素人詩人のことを意味している。
 
そのうち「一杯やらなきゃ唄えねえ」と言う連中が、ヒネブラやグラッパなどが入ったカーニャ(酒瓶)をがぶ飲みしながら大いに気炎を上げ、チーナと踊り騒ぐと言う風景も見られ、特に美人のチーナがいるところは、まるでクラブのように賑わった。ギターとチーナとパジャーダの最もクリオージョらしい光景が、チーナの家で毎週休日に出現するようになった。ウルグアイ(当時の国名はパンダ・オリエンタル・デル・プラタ)では、このギター・チーナ・パジャーダの集会をいつしか「ミロンガス」と言うようになり、唄ったり踊ったりすることを、「ミロンゲアール(動詞)」と言うようになった。

2. ミロンガとは
 アフリカのポルトガル領アンゴラからは、もっとも多くの黒人が奴隷としてブラジルに輸入された。奴隷は逃亡や反乱を防ぐため、同じ言語を話したり同郷の黒人を一緒に置くことを避けたものだが、アンゴラからは余りに多くの黒人が輸入されたので、時代が経つにつれてこの制度が適用できなくなった。彼らは大勢になるとグループを作り、昔の故郷の言葉を思い出し合い、彼らだけに通用する言葉を作った。これをブンダ(bunda)語と言った。ミロンガはこのブンダ語である。(注)
(注)ミロンガとは、ブンダ語では「言葉、多言、質問」 などを意味するが、スペイン語では「噂、ゴシップ、うそ」などの意。ブラジル語辞典の「ミロンガ」の項にも、ブンダ語からきており,ムウロンガ(mulonga) の複数で「言葉」を意味するとある。
 モンテビデオの子供達は、カンドンベ・クラシコを歌う合間に「サンバ!、ムウレンガ!サンバ!」と黒人が使う言葉を真似してどなった。これをスペイン語では、「シーガ・ラ・フィエスタ・シーガ」(お祭り騒ぎを続けよう) と言った。このムウレンガはムウロンガであり、ミロンガに変わったのは容易に想像できる。ブラジルではミロンガという言葉が、大騒ぎ、ドンチャん騒ぎなどの代名詞として使われるようになった。
 ラ・プラタ植民地(ウルグアイ、アルゼンチン)では、ブラジルから入ったミロンガという言葉を、大体同じような意味(お祭り騒ぎをしよう)に使ったが、ブエノスアイレスと違い、モンテビデオでは、ドンチャン騒ぎをしようと言う意味ではなく、チーナの部屋で行われたギターとパジャーダの集まりを意味し、後になって普通の家で楽しむ踊りも「ミロンガ」と言われ、踊りを踊ることを「ミロンゲアール」と言うようになった。

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