第5章 ミロンガ つづき 8.ガウチョには嫌われた こうしてミロンガ=バイレ・コン・コルテは、オリジェーロ地域であるウルグアイのモンテビデオやアルゼンチンのブエノスアイレス州、北部のエントレ・リオス州、それにコリエンテス州などの地方の町々にまで流行したが、奥地の農村部にまでは浸透しなかった。これはオリジェーロの風俗習慣が黒人のものであり、反対に地方農村部は、スペインの風習+ガウチョの伝統風習・習慣・思想などと言う保守的な環境であったため、男と女が抱き合って踊ることは、外人のふざけた”ざれごと”と見ており、ガウチョの世界では到底受け入れられることではなかったためである。 田舎では、男女が離れて踊るサンバ、ペリコン、ガットなどが踊られ、これで素朴な男女は十分に意思が通じ合ったのである。大分昔であるが、以下のように書いた本があった。『アルゼンチン・タンゴの大胆な踊りの中で、時々パッパッと男のリードが瞬間に変化するのは、その昔ガウチョの時代に、恋敵のライバルが放つクチージョ(ナイフ)攻撃から身を守るため、常に体の位置を変える習慣をつけていたことの名残である。』と。 しかし、これは間違いである。先にも述べたが、各自が自分の腕前を他人に見せようとして始めたコルテやケブラーダが、現代タンゴに受け継がれたものであり、ガウチョとは全く関係がないことである。 ミロンガの項 おわり |