第6章 ラ・アカデミア つづき

3.顔より踊り
 アカデミアの女達にはお世辞にも美人と言える器量の女は少なかった、と前章で述べたが、なぜ彼女達は踊り子なのに、美人の女が少なかったのだろうか。アカデミアの女達は、夕方、石油ランプの灯がともる頃から、翌朝東の空が明るくなるまで、ぶっ通しでオリジェーロ達の相手をしなければならなかった。彼女達は、お客が払う1曲幾らかの僅かなお金を、経営者との契約で分けるので、月給のような定収入はなかった。そのため彼女達は休みなく踊ることを強いられた。さぼると直に明日の食事にも差し支えることになるからだった。
 ただ歩くだけでも一晩中歩くとすれば相当な距離になる。それがテンポの速い音楽に合わせて踊らなくてはならず、時には”新しいコルテだ”と仲間をあっと驚かそうとする客に捉まることがある。そうなると大変で、突然意表をつく動きをするから、片時も油断ができない。しかし、このような客に最後まで、しくじらずについて踊り通せば、アカデミアのお客全員からやんやの喝采を受け、彼女自身の株も大いに上がるわけである。反対にしくじれば、いっぺんに誰にも相手にされなくなり、地域に新しく入ってきた新入りの客か、よそ者とでも踊るしかなく、全然売れなくなってしまう。と言うような訳で、一晩中、ぎりぎりに神経をとがらせて踊り続け、曲と曲の間のほんの僅かの時間に、タバコと強い酒でなんとか息をついていく。こうした重労働と荒れた生活が続けば、綺麗な女でも、じきに顔が崩れるし、いわんや、普通の器量の女ではたちまち醜くなってしまう。結局、お世辞にも綺麗だとは言えない顔の持ち主になってしまうのである。アカデミアの方でも、客のオリジェーロ達は、女の器量目当てではなく、新しいコルテなどで仲間に一泡吹かせてやろう、と言う魂胆の者が多いので、女を雇うのには器量よりも、踊りの才能を第一にして選んだのである。

4. サン・フェリーペ
 モンテビデオのあちこちあるアカデミアだが、そのアカデミアの代名詞ともなった有名なサン・フェリーペは、モンテビデオ市の通称バホ(下町)と言われるオリジェーロの地域にあった。サン・フェリーペのオルケスタは通常6,7人で編成されていたが、みなアルバイトの集まりなので、いつも誰かが(楽器が)足りない状態だったので、お客が飛び入りで自分の得意の楽器を持ってこれに加わったりした。マエストロはロレンソと言う楽譜も読めない男だったが、音楽にかけては天才的な才能を持ったクリオージョで、彼が作った多くのミロンガは長くオリジェーロに愛された。マエストロもオルケスタのチームも全部ネグロ・クリオージョで、皆すばらしい音感を持っていた。マエストロがインスピレーションを得て新しいミロンガを作ったときには、チーム全員を集めてまず1度弾いて聞かせる。一度聞いた曲は絶対に忘れない連中のことだから、次には全員で新曲を演奏して、ここが悪い、あそこはこうする方が良いなどと意見を述べ合い、2,30分後には 「新作ミロンガ発表」 となって、その夜に集まったオリジェーロ達を驚かせた。前にも述べたが、当時のオリジェーロ達は楽譜は知らないから、演奏は全部天才的な記憶力によっていたのである。

5. みんなで作った新曲
 一方、このほかにも、アカデミアの新作には地域の音楽愛好家がいつも協力していた。オリジェーロの地域は、ギター、マンドリン、アコージョンなどの楽器の中で、どれも弾けない人間は珍しいくらい、音楽好きの人間が多い地域だった。一寸気の利いた者は、自作の詩をギターに合わせて歌うのは朝飯前のことだったから、こういう連中はアカデミアにやってきては、”一つ俺の作ったやつを聞いてみてくれねえか” とマエストロやオルケスタを前にして、弾いて歌って見せるという風景は珍しくなかった。マエストロが聞いて感心すればそれでOKで、その夜には新作として発表される。また、多少変なところがあっても、マエストロがちょっと手をいれると見違えるような曲になった。この場合は勿論 「何処そこのバリオの誰それ」 と原作者の名前が出る。現在だと作曲家に多額の著作権料を払わなければならないが、この時代は呑気なもので、オリジェーロは自分の名前がアカデミアで発表されることを最大の名誉として、それだけで満足したものである。アカデミア側は新作者の才能を祝福し、ビールなどを奢ってすべてはめでたく収まっていたのである。
 次のページへ