第6章 ラ・アカデミア つづき

6.国際ミロンガ大会
 この国際大会は、現在のいろいろなコンクールのように、賞金を出したり、スポンサーの宣伝活動の媒体になるのではなく、純粋に踊りを愛する人々の間に生まれた大会であった。国際大会というのは後世の人が付けた名前で、当時は委員会も世話人もなにもなかった。モンテビデオとブエノスアイレスのネグロ・クリオージョの間で、「どっちがうめーか、一つミロンガ比べてぇのはどーだい?」という話が持ち上がり、これを両市を結ぶ船の黒人の下っ端の船員が聞いて、「そいつはおもしれーや」と言うので、世話役を買って出て始められたものである。
 コンクールは多くの場合、モンテビデオのアカデミアで行われた。まずブエノスアイレスの方で、コルテの上手な者が何人が選ばれ、その中でも最優秀というのが決まると、両者間の仲介をしたネグロ・クリオージョの船員が、荷物の間に彼らをそっと隠してモンテビデオまで運んだ。公然とした密航である。モンテビデオに着くと、もうすでにニュースが伝わっているし、当時のラ・プラタ川を挟んだ両岸(ブエノスアイレスはラ・プラタ川の南西側、モンテビデオは北東側に位置している)の都市では、服装や楽器が少々違っていたので、ブエノスアイレスから来た人は、モンテビデオの人々にはすぐにミロンガ大会にやってきた人間だということが分かり大歓迎を受けた。
 前記のサン・フェリーペはいつもコンクール大会の会場となっている。モンテビデオの人達も負けてはいないで第1級の踊り手を繰り出す。いよいよ大会の夜ともなると、会場を埋めるオリジェーロを前に、マエストロ(大会進行役)が空き缶を叩き、開会宣言をする。また、ミロンガのクライマックスに達すると、これをがんがん叩いて合の手を入れたりした。全観衆が拍手をするなかでブエノスアイレス代表が入場、直ちにコンパニェーラ(相手役)を各自が選ぶ。相手役の上手下手によって勝負は半分決まったもうなものだから、この点はビジターとして遠来の客を優遇したような形である。
 ビジター全員が、力の限り(足の力)を尽くし、コルテやケブラーダの秘術を公開する。ブエノスアイレスの代表が踊り終わると、今度はモンテビデオの選手達が、やはり全力を尽くして得意技を観衆に披露する。審査は一般観衆が行い、もっとも長く拍手が続いたカップルが優勝ということになる。しかし、コンクールは3晩も4晩も続くトーナメント方式なので、全部の総合得点で優勝するのは超人的は体力と技術を必要とした。
 コンクールの技を計るのは拍手の長短がただ一つの尺度であった。だが、へたくそ、ひっこめ!などとけなす人間はいなかった。特にブエノスアイレスの代表が踊っている間は、口笛は絶対に吹かなかったと言う。無学で文盲とは言え、外交的エチケットはちゃんとわきまえていたのである。
 これだけの大騒ぎをして、超人的は努力をして得た優勝であるにもかかわらず賞品はなにもなかった。優勝そのもの、すなはち名前が第一だったのだ。優勝者自身もそれは一生の思い出になるほどの名誉であったし、周囲の人達もそれにより長く敬意を払ったものである。現在ならば審査委員会があり、委員長はじめ各審査委員が胸に花を挿してテーブルに座り、うやうやしくスポンサー提供の商品などを授与するところであろう。オリジェーロ達は真に心の底から踊りが好きな人間であった。つまらない形式などはどうでもよかったのである。

7. パソ・ドーブレとクアドリージャ
 ラ・アカデミアで発表されたミロンガは、直ちに近郊のネグロ・クリオージョに伝えられた。勿論、コルテやケブラーダを習得するのには多少の時間は必要であったが。ワルツ、ポルカ、マズルカなどもミロンガ化され、モンテビデオのオリジェーロ達は、先祖から受け継いだ天分を発揮して、いつのまにか自分達のものにしてしまった。
 特にパソ・ドーブレとクアドリージャに人気があった。クアドリージャは大アンティル諸島のラ・ダンサの一種であり、フランス人がパリに運んで音符を付け、踊れるようにしたもので、コントラダンサとも言われ、長く愛好されていたが、ラ・プラタ流域に入ってきてクアドリージャと呼ばれるようになった。パソ・ドーブレの曲の中では、1889年のモンテビデオのカルナバルの時に、フアン・ルッソー(juan russo)と言う人が作った。ロス・マタ・ビボラという曲が有名である。この曲がアカデミアで作られたので、一般の人の間ではパソ・ドーブレ・アカデミアと呼ばれた。
 マタ・ビボラとは当時の下級検事のような役人のあだ名であり、彼らは軽犯罪で刑務所に入ったり留置場に投げ込まれた黒人達の裁判権を持っていた。職権を乱用して時には弱い者いじめをしたので、マタ・ビボラというあだ名をたてまつられた。このパソ・ドーブレの歌では大いに彼らを風刺した歌詞が各所に入っている。パソ・ドーブレとクアドリージャは、コルテを仲間達にみせるのに最も適した踊りとして、オリジェーロに受け入れれた。どのアカデミアでもクアドリージャかパソ・ドーブレが演奏されると、ホールの真ん中には必ずコルテとかケブラーダを踊っているカップルを見ることができた。彼と彼女はそのとき、曲に従ってスムースに進むかと思うと、一瞬パッと止まり、また次の曲に乗って軽く足を運ぶ、と言うようにその新構想を公開するのである。一曲踊り終わると仲間の拍手とビールやジンなどの乾杯が待っていたことは言うまでもない。
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