第6章 ラ・アカデミア つづき

10.
ペリングンディネス
 サロン・デ・バイレ・プブリコが左前になりだした頃、イタリア人(ジェノバ人移民)がコリエンテス街に、ペリングンディネス(peringundines: 注1)と言うイタリア式(ジェノバ風の)の新しい大衆ダンスホールを開いた。ペリングンディネスには主に白人ポルテーニョが集まったが、その中には名家の子弟達も出入りし、余り質のよくない踊りを覚え、成人前に経験する反抗期のエネルギーを発散させる場所としていた。だが、一般にはブエノスアイレスの踊りは、モンテビデオのそれに比べると、ヨーロッパ風に近く、ハバネーラがどうにかモンテビデオの踊りと比べられる程度で、いつも一歩遅れていた。しかし、オルケスタの楽士は全部黒人クリオージョで、彼等が耳から入れたり直感的に作った曲が大衆を喜ばせていたことはモンテビデオと同じであった。ペリングンディネスはコリエンテス大通り(注2)に多く、コリエンテス大通りとウルグアイ通りとの角に2ヶ所、コリエンテス大通りとタルカウアーノ通りとの角、コリエンテス大通りとリベルタッ通りとの角などにあった。ロレーアやボカなどの地域にあったものは、いかがわしい女もいたようで、時にはお尋ね者が飛び込み、それを追ってきた警官との間に派手な大立ち回りが、サロンで展開されるという光景も珍しくなかったようである。
 このようなホールで一番人気があったのは、ハバネラ、ついでワルツ、ポルカ、クアドリージャ、マズルカなどの順であった。コリエンテス大通りが現在のような大通りになったのは1930年頃で、1800年代の終わり頃はペリングンディネスや大衆ダンス・ホールの多い、ごちゃごちゃしたイタリア人の移民の多い街であった。
(注1)ペリングンディネス:日本の辞書にはない、現在は死語。かって低俗な道徳心の低いイタリア移民が行ったダンスホール。
(注2)コリエンテス大通: ブエノスアイレス市の中心部をほぼ東西に走る大通りで、ウルグアイ、タルカウアーノ、リベルタッはコリエンテスと交叉する南北の通り。

11. ピアノ用のタンゴ
 1889〜90年、ブエノスアイレスのクリオージョの作曲家達が「タンゴ」を作曲し、音符をつけて「ピアノ用タンゴ」として売りだした。このグループの中ではフランシスコ・アルグレアヴェス(Francisco Hargreaves)という人が有名で、各種のクリオージョの歌を発表しているが、その中にバルトーロ(Bartolo)と言うタンゴと、作品No.1 No.2 No.3の三つのミロンガが、多くのブエノスアイレス人に人気を博した。(アルグレアヴェスは1877年にすでにクリオージョとしての最初のオペラ劇も書いている)。ピアノ用のタンゴを発表する前、これらのクリオージョの作曲家グループは、いくつかのミロンガを発表しているが、この「ピアノ用タンゴ」は実質的には「ハバネーラ」であり、それもモンテビデオのミロンガ・クラシカ・デ・アカデミア・モンテビデアーナの影響を強く受けたものであった。
 このグループがミロンガを作曲し、ハバネーラをタンゴと呼ぶようにしたことは興味深いことである。それは、昔黒人の奴隷達がカンドンベを踊り、それに彼等がアフリカにいるときから使っていた「タンゴ」という言葉を付けたのが始まりで(注)、その後ミロンガやハバネラ、ラ・ダンサなどが次々にラ・プラタ川流域に入ってきたが、黒人クリオージョは、いとも簡単にこれらを自分達のものとして、現代の「タンゴ」が生まれる下地を作ってきたことと、「ピアノ用タンゴ」を作ったクリオージョ作曲家の生き方に一脈通じるものがあるからである。
(注)ラサ・アフリカーナ楽団が作ったタンゴ「エル・チコーバ」1866〜67のこと。
 「ピアノ用」というのは、それまでミロンガなどが黒人クリオージョよって作られ、耳から耳へ伝えられただけで音符と言うものがなかったため、一般の白人家庭で音楽を愛好する夫人や娘達が、ときたまこの黒人クリオージョの音曲を弾こうと思っても、黒人の楽士が耳学問だけで弾くようなわけには行かなかった。その上そうした希望を持つ女性達が、ラ・アカデミアに通う名家のお坊ちゃん達の話に感化されて増えていったのである。こうした風潮を狙って、ブエノスアイレスのクリオージョ作曲家達は、ハバネーラにタンゴと言う名を付けて、ピアノ用のニューフェイスとして売リ出したものである。ハバネーラのピアノ用タンゴは、ブエノスアイレス人達の趣向に合い、この音曲集は発表されるとたちまち売り切れになると言うほど音楽愛好家達から人気を博した。それまでは”タンゴ”と言う、黒人クリオージョがカルナバル、日曜祭日などに黒人の住む地域で使われていたこの言葉が、ピアノ用タンゴの普及により、大いに一般家庭の中にも入っていった。フランシコ・アルグレアヴェスのタンゴ「バルトーロ」について、音楽批評家のカルロス・ベーガは 『バルトーロにはスペインのタンゴ・アンダルース(アンダルシアのタンゴ)の特徴を持つメロディが入っており、これは1880年に発表された、アンダーテ・ア・ラ・レコレータ(andate a la recoleta) やセニョーラ・カセーラ(sen~ora casera)などと同じものである。』 と言っている。

     ----ラ・アカデミアの項 おわり----

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