??事故の疑惑とは??

 
毎年6月24日は、アルゼンチンが生んだ不世出の英雄カルロス・ガルデルが、1935年のこの日、コロンビアのメデジン(Medellin)空港出飛行機事故で死んだ命日である。カルロス・ガルデルが生涯に発売したレコード版数は、1473枚(同一のタイトルの再販を含む)、吹きこんだ曲(タンゴを始めワルツ、ミロンガ、フォルクローレ、サンバ、フォックストロットなど)は798曲、主演した映画11本に上る。アルゼンチンでは、第二次世界大戦直後のペロンから現在のネストル・キルチネルまで、大統領は30人以上も替わったが、時の大統領の名前を知らない国民でも、カルリート・ガルデルを知らない者はいないと言われるほどの、国民的アイドルなのである。それ故に、彼の死には、いや、出生そのものから国籍についてなど、生涯を通して多くの謎めいたミステリーが付き纏っている。(出生については、このホームページの”カルロス・ガルデルの出生の真実”をご覧頂きたい)。証拠や現実を求めるよりは、偶像として永遠に国民の心に刻み込んでおこうとする歴史家の意図から、それがそのまま神話化されてきたとも言われている。
 私がブエノス・アイレスに駐在している間に集めた、アルゼンチン・タンゴの歴史に関する様々な資料の中に、この事故に関するいくつかのレポートがある。それらによると、当時の事故調査結果の詳細は、コロンビア、アルゼンチン両国の関係悪化を懸念した関係者の意図から、詳しく発表されなかったと言われている。これらの資料を参考にして、現在でも解明されていない原因 (いやもう永遠に解明されないかもしれない) の迷宮の扉を開いてみようと思う。

 何故あの事故が起きたのか、については、数々の”謎”がある。
 たとえば、(1)なぜ、ガルデルの乗った飛行機(コロンビアのSACO航空Ford Trimotor F-31)は、ドイツのSCADTA社のマニサーレス機の上を横切ったのか、(2)F-31機のパイロット目掛けてピストルが発射されたと言うのは事実か、(3)搭載重量がオーバーしていたと言うのは本当か、(4)なぜ、ガルデル達は酔っ払っていたのか、(5)搭乗前にパイロットとガルデルが女を取り合っていたと言うのはほんとうか、などである。
 そして、もっと神秘的な話は、ガルデルは死んだのではなく、6番目の生き残り(記録では事故で生き残ったのは5人となっている)として、1969年頃まだ生きていた、と言う信じられない話である。この話は、1969年8月頃に、ベネズエラのある楽団の演奏家が語ったもので、 『コロンビア北部の農園で、83歳になったガルデルがまだ生きている。(彼は1890年生まれとなっているので、この年は79歳のはずである) 彼は鼻や下顎がなく、口はひん曲がって見るのも恐ろしい顔している。』 さらに、1973年には、『私はガルデルの息子でカルロス・E・エスクレーガと言い、32歳、マドリッドに住んでいるが、定期的にコロンビアからお金が送られてくる』 とまで言い出す人間が現れた。いずれも推測や作り話であろうが、確かめる術はない。このような疑惑の中から、重要なものについて検証する。

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