重量オーバーではなかったか? ガルデル一行の乗ったコロンビア航空のF−31・フォード・トリモトール(3発)機は、アメリカで作られた最初の金属機体の飛行機で、巡航速度110マイル、最高時速130マイル、重量は空で3トン。積載能力は、乗員2名、乗客14人、最大積載重量は、人間と荷物の合計で2.1トン、最大航続距離510マイルとなっている。椅子は籐製で安全ベルトなどはなかった。事故当時の総重量は人間の合計が810キロ、荷物が396キロの合計1.206キロで、まだ900キロも余裕があり、重量オーバーだったのではという説は当らない。しかし、次に述べる緞帳の重さは、この荷物の重量に含まれていないので、完全に否定することはできない。 緞帳の疑問 離陸時のメンドーサの操縦は完璧で、風も順風であった。ピストル以外に、突然の墜落の原因について、全く疑問はないのだろうかというと、実はそれがそうではないのである。30年以上も隠されていた事実として、機内に積んだ荷物が突然ずれ動いたため、飛行機のバランスを失わせたのではないかと言う疑問である。その荷物とは、長さが10メートルもあるビロード製の緞帳のことである。ガルデルは自分の興行の場所に、頭文字の”C”と”G”の2文字を大きく書いた緞帳をいつも運んでいった。最後の興行になった、ベネズエラのカラカスでもそれを使った。次ぎの目的地へも当然持って行くはずである。 では、、緞帳がなぜ、ずれたり、バランスを失わせるような危険があったのかと言うと、その大きな緞帳は貨物室に入らないので、客席の床に置かれていたのである。急激な上昇のため、この緞帳が右に左に、後の方へと動き、飛行機のバランスを失わせたかもしれないのである。このことが、ピストルの発射だけが墜落の直接原因ではないという論拠の一つになっている。或いは、両方の原因が偶然に重なったのかもしれない。誰もが、緞帳が事故の原因になるなんて想像もしなかっただろうし、積み込む前に重さを量った者は誰もいなかった。 正確な事故発生時刻は? 遺体がつけていた時計の時刻がまちまちであった。例えば、ガルデルの時計は15時7分、他の乗客のは15時10分、飛行機の時計は15時30分、そして墜落の正確な時刻は14時51分53秒だ。しかし、これは、簡単に説明できる。時計は墜落の衝撃では止まらず、火災の熱で止まったのだ。それぞれの時計が熱を感じる程度が違うので当然なことである。 軽傷ですんだグラント・フリンの謎 コロンビアの航空会社SACOのトラフィック責任者、グラント・フリンは、ガルデル一行の警護責任者として同乗していた。フリンは5人の生き残りの一人である。他の4人は、アルゼンチン人ギタリストのホセ・アギラール、スペイン人音響技師のホセ・プラハス、ベネズエラ人秘書で、マッサージ師のアルフォンソ・アサッフ、ギタリストで作曲家のアンヘル・ドミンゴ・リベーロで、この4人は火傷で重傷を負った。 病院関係者が怪我人を救出し、病院に収容した後、2人は手術台に、2人はベッドに寝かされたが、フリンだけは椅子に腰掛けていた。メルセ病院でアルフォンソ・カストロ博士が慎重に治療をしたが、フリンだけは病院から自分で家に帰った。彼だけは奇跡的に軽症だったのである。フリンは以前にも同じような事故に会い、やはり無事脱出したことがある。フリンは警護担当としての習慣から、常に昇降口の側にいるようにしていた。F−31機はコックピットがないので、機内が全部見渡せるし、前方の外の景色も眺められる。操縦士メンドーサの突然の異変に気付き、危険を察したフリンは、墜落直前にとっさに機外へ飛び出した。フリンは誰よりも早く回復し、事故原因解明に最も寄与できる立場であったにもかかわらず、間もなく姿を消してしまった。その後の消息は遂に誰にも知られることはなかった。フリンは事故原因解明にもっとも役立つ人間だったのに、何故か何も喋ろうとしなかったのである。 |
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