【地球の裏側を走る =アルゼンチンの車と人と街並み=】 No.5 第2部 ≪バスは道路の王様≫ 2.かってはワンマンバスも切符を売っていた ワンマン・バス・システムは日本よりも古い。今でこそ切符の自動販売機を具えているが長い間運転手が一人一人にきちんと切符を売っていた。長い間この方式が維持されてきたのは、客が各自で料金を入れるシステムだと正直に入れない客が多くなるからだ。人が信用できないという点から、アルゼンチンに限らずラテン・アメリカ諸国には路上に置かれ自動販売機やキャッシュ・ディスペンサーの類がないことが挙げられる。現地の人に言わせれば、こんなものを路上に置こうものなら、先ず無事にはすまないだろうと言う。日本でも最近は無人のキャッシュディスペンサー盗難事件がしばしば起きているが、こうなると彼らに日本社会の安全性を自慢できなくなってきた。情けないことである。 それはとにかく、日本の社会は、人間の目によるチェックがなくても、ごまかそうとする者はいないということを前提で成り立ってきた。しかし、我々のような単一民族社会とは異なり、ラテン・アメリカのような人種の坩堝と言われるほどの多民族の混合社会では、人それぞれの考え方、習慣、文化に違いがあり、同じ社会に住んでいても、皆が同じ事を考えたり、するとは思っていない。つまり、自分・家族以外の人間は信用できないという前提で成り立っている。従って、コレクティーボの料金も運転手がしっかりチェックしなければならないし、何時盗まれるかわからない自動販売機が普及しないのも当然だし、ATMなどは”猫に鰹節”で、どうぞお持ち帰り下さいと言わんばかりになってしまうであろう。 バスの乗り方はかなりいい加減である。乗りたい番号のバスがきたら手を上げる。運転手によっては、バス停でない所でも止まってくれる事もある。バスの中には物売りもやってくるし、≪車内の携帯電話は一目を憚らずで、家や道路に居る時と同じように大声で喋るので話の内容は周囲に筒抜けである。≫ 日本人同士なら”そんなことは当たり前だ”とか、”改めて言うのは失礼だ”とか、”今さら野暮な事言うな”とか、”常識で分からないのか”などと言われるような至極当たり前のことでも、アルゼンチンなどではきちんとした書き物にしておくのが普通である。この点は国民が全部同じような文化、習慣、教養知識を持つ日本人同士の間柄では想像できない世界である。例えば、騙されるという場合に日本人は”騙される方も半分悪い”と言うが、彼らの世界では”騙される方が100%馬鹿”なのである。地球の裏側では水の渦巻きも反対(時計と逆回り)に回るし、北側が日当たりがよく、太陽は右手から登るなど、四季が逆だけでなく、いろいろな点で違うことが多い。このような国々へ行ったら、日本人の持つモラルや習慣で相手の行動を評価してはならないと思う。相手の人間と同じ立場になって初めて物事の善悪を判断する資格ができるものである。 物事が逆の話のついでに付け加えると、南半球は北側が太陽に向いているので日本の南側と同じであるが、多くのアルゼンチン人にとって日当たりが良い事は家の価値を決めるのに余り重要な要素ではない。スペイン人などの西欧系の人種の目は緑色をしているが、緑色の目は光に弱いと言われているし、また、日当たりが良いことは家具には良い影響を与えないなどが理由のようである。そればかりでなく、家の中の居間やキッチンの照明も暗い。私が住んでいたデパルタメントも,北も南も眺望が良いのに、日本の北側に当る南側に広いベランダがあり、寝室は北側であった。 |
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