【地球の裏側を走る =アルゼンチンの車と人と街並み= No.6

第3部 ≪一人前のドライバーへの試練≫

1.越えなければならないハードル  
  ブエノス・アイレスの街を歩いていて一番目につくものを順番に挙げると、@タクシー Aコレクティーボ Bキオスコ(日本の駅などの売店とほぼ同じ形態の店) Cカフェテリーア(コンフィテリーアも同じ喫茶店のこと) D花売りスタンドと言うことになりそうだ。とにかくタクシーは街中の何処でも走っている。市内の隅々まで走り回る黄色と黒のツートン・カラーのタクシーは現在は約4万台と言われ個人タクシーである。これほど多いタクシーでさえも、かの道路の王様コレクティーボの所構わぬスピード・レースには一目もニ目もおいている。≪タクシーはやたらに増えないように免許制度であるが、最近の経済事情から無免許タクシーが増えたので、これを合法化したため台数はかなり増えたようだ。ほとんどが無線タクシーで会社組織になったものも出現し、中には300台以上も持つ会社もある。しかし、タクシー・ビジネスは余り儲からないと言われているようである≫
。 このような交通環境の中で、我々外国人がマイカーを一人前に乗りこなすには、越えなくてはならないハードルがいくつもある。まず、デパルタメント(マンション)のガレージの出し入れと、ぎりぎり一台分のスペースに出し入れする駐車技術の習得から始まり、左ハンドル・右側通行の法則、そしてウインカーをの代わりに手で合図をする習慣(教習所でもこの方法を教えられた)に慣れることであった。≪この習慣は今では変わっているかもしれないが≫。デパルタメントのガレージの多くは地下にあり、これへの出入り口は、普通30度くらいの急坂で幅は2メートル少々しかない。慣れるまでには幾度となく横腹を壁にこするのが第一のハードルである。そして次に、目的地に着いてからぎりぎりの駐車スペースに5メートルもの巨体をいかに巧くいれるかが問題である。ガレージの出し入れに慣れない頃の寒いある朝、ポルテーロ(管理人)に助けて出してもらったのはよいが、数百メートル走ったら突然エンストしてしまった。原因がさっぱり分からず暫くの間、道の真中に立ち往生していた。改めてエンジン・キーを回そうとしたらチョーク・ボタンがひかれたままなのに気がついた。今の車はチョークを引くなんて事はしないであろう。
  右側通行については、一方通行の通りでは全体が同じ方向への流れなので、左端近い車線を走っていれば日本とそれほど違和感は感じない。しかし、厄介な事はウインカーを信用していたらとんでもないことになるというこである。停車するときなどブレーキを踏む前に運転席で右手を直角に上げる。後続車はこの合図に気がつかないと”チョケ(追突)”してしまう。あるとき、私の前を走っていた車が左折のウインカーを点滅させていたので安心して直進しようとしたら、突然右折してきたのでびっくりした。車線を守らない蛇行運転や、曲がる前に予め車線を移動しておくことを守らない車が多いのも恐怖である。しかし、よくしたもので、慣れてくると自然に自分もこの国の習慣に染まってくる。こうして何時の間にかハードルを越えていたのである。
 ≪写真:街角のあちこちにある花売り。ブエノス・アイレス市内で売られる花の多くは日本人移住者が栽培しているが、景気の良し悪しで売れ行きが違うと言う≫

2.傷だらけのバンパー
  バンパーのことをスペイン語では”パラゴルペ”と言う。ずばり、衝突に対するもの、すなはち緩衝器である。地球の表と裏では何事も違って当たり前であるが、日本の車のバンパーが車体の外部装飾品のようなものになり、顕微鏡的な疵がついてもつけられても大騒ぎになるのは頂けない。やはりバンパーはその名の通り車体を守るためのもので、もしバンパーに疵がつくような事が起きても、車体にまで被害が及ばなかったら、やれやれ助かったと成田山のお守りに感謝するくらいの寛容な心を持ちたいものだ。
  ある日曜日の午後、ヌエベデ・デ・フーリオ大通りの信号で停車したとき、後から震度2くらいの衝撃を感じた。振り向くと後ろの車の運転者は横を向いて知らん顔をしている。ようやく前を向いたので、私が怖い顔をして拳骨をぶっけるゼスチャーをすると、両腕を広げ肩をすくめながら、「ノー・メ・インポルタ (なんでもないよ)」というゼスチャーをされた。これは”どうってことないさ”と言う意味である。もっと詳しく説明すると、”わざとぶつけたわけじゃない、起きた事はしかたがないさ。お互いバンパーの接触じゃないか、どうってことないじゃないか” というわけだ。もしこれで、車から降りて談判しようとしても、相手はきっと窓も開けずに信号が青に変わるや ”チャオ”と発信してしまうに違いない。アルゼンチンでは車同士の争いばかりでなく、殴り合いの喧嘩というものも殆ど起きない。過去の開拓時代(18世紀末から20世紀初頭)の血気にはやった風潮は今はない。あるとき、何が原因か2台の車の運転者同士が口論しているのを見た。一方の運転者が車から降り、他方の車の窓越しに怒鳴りながらドアーに手をかけようとしていた。しかし相手は前を見たまま一向に動じない。片方はしつこく窓から身を突っ込んでいたが、信号が青に変わるや相手はいきなりドアーを内側から激しく開け、騒ぎ立てていた男を突き飛ばして走り去ってしまった。またある日のこと、私の事務所の前の通りで、若い男二人が2頭の牛が角を突合せて戦っているように額を擦り付けあい、両手を後に組んで口論しているのを見た。”俺は手はだしていない”という意思表示である。アルゼンチンでは喧嘩でも先に手をだした方が絶対に悪者になる。子供時代から習慣になっているせいかもしれないが、見事なまでの自制心である。
  ブエノス・アイレス市内は大きく商業地と住宅地に分けられる。住宅地のことを「バリオ」と呼ぶ。住宅地区であるから各ブロックを区切る道は狭く、モータリーゼーションがくる以前に建ったデパルタメントにはガレージがないか、あっても狭いので路上の片側には、違反を承知でずらりと駐車の列ができている。各車間はとても人が通れる間隔はなく、20cmもあればよい方で、殆どはバンパーがぴったり接触している。この列の中にはベンツもBMWもキャデラックもあるし、ペラペラなブリキの玩具のようなシトロエンも並んでいる。もし、バンパーの接触が気になるのだったら、とてもこの国では車は持てない。路上に駐車している車には車種を問わず、どこかに傷がある。発進するときには自分の車を前進・後退させて前後の車との間隔を広げて出るのである。従って、路上駐車するときはギヤーはニュートラルにして、サイド・ブレーキはかけないのが常識である。サイド・ブレーキを掛けておくと無理に押されるのでバンパーの凹みは大きくなり、その上タイヤを擦ってしまう。1台が出た後の車の長さプラス幾らかのスペースができた空間へは、いつのまにか他の車が見事に入り込んでくる。もちろん、多少擦ったリぶつけたりするのは覚悟の上のことだ。ぎっしり駐車しているため道路からデパルタメントの玄関へ直接入れないときなど、若者達はボンネットの上に飛び乗って渡ってくる。これには流石に驚いたものだが、アルゼンチン製の車はそのような事にも耐えられるよう鉄板も厚くなっているのである。
  車を持っているとレジャーのドライブを楽しめたり、スーパーの買い物が楽だったりと、いろいろ良い事もあるが、維持費が高いことや、運転中あるいは駐車時に日本とは異質な気遣いや苦労が多い。しかし、さきにも述べたが、日本とは車に対する観念が何もかも違うのだから慣れるしかない。

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