【地球の裏側を走る =アルゼンチンの車と人と街並み= No.8

第3部 ≪一人前のドライバーへの試練≫

4.バウール(トランク)の中味
  アルゼンチンではプロの運転手は一日1千キロ、素人でも600〜700キロは走る。日本では想像も出来ない距離である。市の西側を区切る「ヘネラル・パス」と言う高速道路から北、西方向に伸びる国道は、そこから30キロも行けばもう信号もなく両側は草原の中に林と家が点在する、ほぼ直線の道ばかりになり、時速120キロ以上のスピードで走っていると2時間や3時間全くブレーキを踏まないでも走れる。しかし、120キロ以上のスピードになると、蝶々や蜻蛉がばたばたとフロントガラスにぶっかって来て前が見えなくなる。ラジオのアンテナには二つに折れた蜻蛉の胴体が幾つも引っかかって取れなくなる。仕方なく前もって用意してある水を掛け、雑巾で払い落とさなくてはならない。この何もない道が時々ほぼ直角に曲がっている地点がある。これは、村や町に入る合図であって、猛スピードで走ってくる車がそのまま人家のある場所に突っ込んでこないように、わざと曲げてあるのだ。
  休暇をとっての長距離ドライブ旅行、週末の家族との近郊ドライブは生活に欠かせないレジャーの一つである。知人の別荘を訪問したり、ゴルフに行ったりする他に、地図を眺めてまだ行ったことがない町や村を訪ねるといった、たいした目的もないまま走り回ることもしばしばである。このようなときには出発時間から帰宅時間を予め想定し、その時間の半分くらいまでを往路として走る。着いた所に小さなホテルでもあれば幸いで、なければ田舎町のコンフィテリーヤを探してコーヒーでも飲んで、また着た道を戻る。小さなホテルなどでは日本人を珍しがり、世間話に花が咲いて思わぬ知識を吸収することもできる。そして気にいれば次ぎの機会にはそこを目的地にして出かける。このような日は出発が10時とか11時、もっと遅く昼飯を済ませてからというときもある。そうすると夕食までに家へ帰るには精々5〜6時間しかなく、片道では2〜3時間のコースである。ところがこれで200キロは十分に走れるのだ。半日で往復400キロも走り、その上行った先でゆっくりコーヒーを飲んでこられるのである。アルゼンチンではこんなドライブが日常的であるが、そのためにはいつも出先で故障した場合などの備えを怠らないようにしなければならない。日本の新車の付属工具であるジャッキー、それを回すハンドル、タイヤ脱着用スパナーだけではとても安心して遠くへは出かけられない。
  アルゼンチンでは、国内消費の石油はほぼ国産で賄えるお陰で、昔も今もガソリン・スタンドは年中無休であるが、失われた80年代ころは、郊外では極端に少なかった。遥か地平線の彼方まで草原が続き。人造の構築物といったら灌漑用水をくみ上げる風車だけとか、一面の牧草地帯の中のどこに建物があるのか見当もつかないのに、入口を示すため道路脇に昔の牛車の錆びた車輪を立てかけてあったりするような風景は珍しくない。こんな所でエンコしたら万事休すである。もしそこが地方の山道などであれば、一日に数台しか通らない車(それも牽引できるような上等な車)が来るのを待たなくてはならない。そこで、気息炎々として走る車はさておき、長距離ドライブができるような車を持っている人は、バウール(トランク)にいつも七つ道具どころではない、完全な装備を積んでおくのが常識であった。
  @スペアータイヤ、Aジャッキー、B三角表示板までは義務的装備品であるが、これ以外に、C懐中電灯、D予備のベルト類、Eヒューズセット、Fロープ類、G雑巾、この程度までは例え日本人であっても納得できる品物であるが、この上さらに、Hばけつ、I20リットル入りビトン(ガソリン入れ)、Jペンチ、スパナー、針金、ドライバー等の大工道具類、K雨傘、L茣蓙(ござ)、Mコーラの徳用大瓶に詰めた水、N各種の電球セットなどが入れてある。
  ビトンはいつもガソリンを入れておくわけではなく、次ぎのガソリン・スタンドまでどのくらいあるかを地図で確かめて必要になりそうなときとか、ブラジル、ウルグアイなどのように土曜・日曜には休むスタンドが多い国行った場合などに使う。逆にバッテリー間の充電用コードを持っている人は少ないし、スノー・チエーンに至っては誰も持ってない。車同士でバッテリーの充電をしているのは遂に見たことがなかった。これは他人に物をただで提供する事をしない国民性からであろうか。その替わりと言うか、やたらに押したり押されたりしている車が多いのはそのせいかもしれない。
  ≪90年代になり、スペインの石油会社と合弁した元の国営石油公社(YPF)や多国籍企業の石油メジャーなどが国道の整備を行い、料金徴収やLPGも含めたガソリン・スタンドの経営を行なうようになり郊外にも増えてきた。ガソリンの種類は、ノーマル、スーパー、ウルトラの3種類ある。(*値段はペソ切り下げ、対ドル円高などで相当変動していると思われるので記載しない)。 先に述べた七つ道具類は、これらのガソリン・スタンドやサービスステーションで手にはいるようなり、また、救援をたのめば駆けつけてくれるようになったので、持たない人も増えてきた。また、若い女性の場合は通りかかった男性ドライバーがすぐに助けてくれる≫。
  南緯34度34分、西経58度25分とは、地球の南北を逆さまにすると関東地方とほぼ同じような位置になる、従って四季もちゃんとあって真夏には30度を越すし、冬は零下にもなる。しかし降雪は、ブエノス・アイレス周辺では建国(1816年)以来、1918年(大正7年)6月22日の夜に、たった一度積もったことがあっただけだという。朝、窓を開けてこの雪を見たアグスチン・バルディと言うタンゴの作曲家が感嘆のあまり、「ケッ・ノーチェ!(なんていう夜なんだ!)」と言う題名のタンゴを作った話は、知る人ぞ知る有名な話である。アンデス山脈の麓やシベリアにも匹敵するパタゴニア地方でもなければ、スノー・チエーンには全く縁がない国なのである。

 ≪写真:車の前部にくっ付いた蝶々、トンボ類。パンパの中を120キロ以上のスピードで走ると虫がばたばたぶつかってくる。早めに掃除しないと乾いてこびりつき取り難い。≫
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