【地球の裏側を走る =アルゼンチンの車と人と街並み= No.13

4部 ≪ブエノス・アイレス街巡り≫

6.交差点の物売り
  
信号待ちの風物というより、もっと深刻な光景なのが交差点の物売りである。大きな交差点で信号が赤から黄色そして青に変わる僅かな時間を利用して、停車中の車に色々な物を売りにくる人たちがいる。ここ1,2年でさらに増えたきた。いい若者や中年の髯を生やした男、ときには車椅子に乗ったひとまでが車と車の間を動き回る。手にしているのは雑巾、ボールペン、色鉛筆、はたき、ビニール袋、人形、ノート、菓子類からパンや野菜まであり、やたらに窓をたたく。フロントガラスを黙って拭きだしたり、大道芸人宜しく前に立ってゼスチャーを始める者もいる。夏にはアイスクリームも売りにくる。中年の男性になると妻や子供連れで夫婦交替で売り歩いている。こんな事をしていても、昼日中一日売れば何がしかになり、親子4人が一日はなんとか食べられるらしい。
  アルゼンチンに限らず経済混乱の続く国々では、国民の生活に対する不満を少しでも和らげようとするため、人間の本能である衣食住のうち衣食については、最低収入でも何とか生活できるように特定の品物に限り最高価格が決められている。だからこんな商いでも一日働けば最低の肉とパンとビーノ(ワイン)の一日分は買えるというわけだ。肉の値段は大体日本の10分の1程度であり、買う単位もキロ単位である。≪また、衣料品も最近は韓国人メーカーが進出してきてから特に安くなったと言われる≫。このような国の失業率などの算定は、完全な失業者数のみを対象とするので、このような交差点の物売りを始め、一週間に1時間でも働けば失業率算定の対象にならないと言うのであるから、公表される数字よりも現実ははるかに厳しいと言わなくてはならない。
  こうした物売りの居る交差点は大体いつも決まっていて、当然ながら交通量が多く、比較的裕福な階級の人の車が通り、そして信号の切り替わり時間が比較的長いところである。こうゆう交差点を通る車を見ていると、あらかじめ窓を開け、いくばくかのお札を手に用意していて、品物は受けとらずにお金だけを喜捨している車が圧倒的に多い。貧しい人たちに物を恵むということについて、金持ちは意外に冷淡である。乞食にお金をやる人とか、歩道に即席に紙を広げて物を売る露天商から物を買う人達は、皆同じような階級の人々で、お金の有りそうな人間は決して手を出さない。恵まれた者が貧しい人たちを助けることを信条としている、キリスト教の精神も案外当てにならないようだ。交差点でも路上でも、売る方はちっとも押し付けがましい態度はしないので、いらなければ知らん顔をしていればよいのだが、我々から見ると本当に商売気があるのかと疑いたくなるような、チャランポランな物売りである。物売りは交差点だけでなく、電車や地下鉄の中まで入り込んでくる。座っている人の膝の上にだまって”聖者カード”を置いて行き、戻ってきて受け取った乗客から代金を貰う仕組みである。
  クリスマスが近くなると市内の事務所や家庭には警察官、消防団、郵便局員などが寄付を貰いにくる。これはかなり強制的である。相手も流石に只でお金をくれとは言わず、わけの分からない音楽会とか演芸会の切符とか、あるいは宝くじのような抽選券置いていく。同じ所から何回も違う人間がくるので、一度払ったという証拠のために暫く券類を保存しておかなければならない。特に消防団は市からも政府からも費用が出ず、全てボランティア活動なので、各家庭への寄付集めがしつこい。しかし最近は出さない家庭が多くなったようである。 

≪写真:ブエノス・アイレスの地下鉄”B”線を走る白線に赤いダイヤを描いた懐かしい丸の内線の旧型車両。≫
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