【地球の裏側を走る =アルゼンチンの車と人と街並み= No.15

4部 ≪ブエノス・アイレス街巡り≫

. 四季の花咲く都大路 (その1)
  南米大陸にある国々に毎年やってくる日本人の数は、スペイン1か国へ訪れる数とほぼ同じだということを、かってある航空会社の友人から聞いたことがある。南米への訪問客の中では、やはり日系人が100万人以上もいるブラジルへ来る人が一番多い。アルゼンチンヘ来る人の数は正確には聞いた事がないが、仕事での出張や、観光合わせても年間精々2000人〜3000人程度であって、毎年あまり大きな変化はないのではあるまいか。テレビで南米に関する番組がよく放送されるようにはなったが、人数的にはそれほど多いとも思わない。
  アルゼンチンを代表するものとしてすぐ頭に浮かぶのはタンゴであるが、本場のアルゼンチンでは必ずしも、国民的コンセンサスを得た代表的芸術文化の産物とは言えないような面があった。その理由は一部の階級から、”生い立ち(発祥)が卑しいから”と見られていたことが大きな原因であった。まことに見識の高いお国柄である。しかし、今では外貨獲得に大いに貢献しており、政府の奨励もあって認識も変わり、タクシーのラジオからも街のCD店の店先からも、何時でも何処でも、あの歯切れのよいバンドネオンのスタッカートが流れている。
  タンゴの歌詞にもCDのジャケットのデザインにもよく使われる、ヌエベ・デ・フーリオ大通りの東側には「カルロス・ペジェグリーニ」、西側は「セリート」と言う別々の道が緑地帯を挟んで平行して走っていて、この二つの道を合わせた幅が144メートルになる。昔はこの2本の通の間にびっしり建物があったのを、強制的に取り壊して今の大通りを造った。立ち退きさせられた人々は、市内南部のカラフルなデパルタメントに移っているが、嫌も応もなかったようで、こういう点は独裁政権の強みだったといえる。建物を壊して新しく造った道だから、ヌエベ・デ・フーリオに直接面する建物はなく番地もない。この通りに沿った建物は両側のカルロス・ペジェグリーニかセリートの何番地というようになっていて、前者は奇数番地だけ、後者は偶数番地だけという変則的な形をしている。そして立ち並ぶ建物は10階〜15階くらいの中層のビルが多く、高層の新しいビルは少ない。街並みに統一のとれた美観を保つために、建物の2階(日本の3階)にだけベランダを付けることができるので、この高さには各ビルのベランダが連なっている。特に東側のカルロス・ペジェグリーニに面したビル群では、西日除けに張り出された窓々のカラフルな日除けが、ビルを上下に分ける美しい帯のようである。
  ブエノス・アイレスは南米のパリと言われてきたが、今ではむしろ良き時代のパリの風情が本場よりも残っているようにも思える。街の風格といい建物と自然の調和のとれた見事さといい、住む人のセンスといい、人間の住む所としてブエノス・アイレスは、アスファルト・ジャングルとか冷たい都市美とか、都会の孤独とか言った近代都市を表現する、非人間的な形容詞を持たない、バランスのとれた街である。
  ヌエベ・デ・フーリオの両側の緑地帯には、様々な街路樹が植えられていて、四季を通じて何かしらの花が咲いている。樹齢何十年を越す大きなアカシヤ(ミモサ)を始め、「パーロ・ボラッチョ(酔っ払いの木)」と言う徳利のように幹の下部がふくらんだひょうきんな形の樹、春を告げる「ハカランダ(英語読みでジャカランダと言う)」、国花の「セイボ」などなどが見事に配置され、適当に混ざり合っているので、ビルの窓や走る自動車の窓から随所に花を鑑賞することができるのである。国花の話がでたので、ついでに周辺国の国花をご紹介しておこう。パラグアイがパシオナリア(時計草)、ボリビアがカントゥータ(なでしこ)、チリがコピウエ(つばきかずら)である。、ウルグアイは残念ながら知らない。

≪写真:高級住宅街を通る、ラス・エーラス大道りの両側に連なるアカシヤ(ミモサ)並木≫ 
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