【地球の裏側を走る =アルゼンチンの車と人と街並み= No.18

5部 ≪ブエノス・アイレスのタクシー事情≫

3. タクシーの上手な乗り方
 
 先んずれば人を制す」と言う諺があるが、ブエノス・アイレスのタクシーに乗って料金をごまかされないためのノーハウは、まさにこれである。アルゼンチンには色々な肌色の人種が住んでいるから、運転手はどんな人間が乗ってきても珍しがらないが、少なくとも言葉は皆スペイン語を喋ると思っている。そこで、自分でドアーを閉めて(日本のようにタクシーのドアーが自動で開閉するのは世界でも珍しい)、さて行き先を告げようと呼吸している間に、いきなり運転手の方から「ペラペラペラ」と言われてきょとんとしたら、もう逆に機先を制されたことになってしまう。こうなってから行き先を言ったり、紙に書いたものを見せても手遅れである。運転手は黙って走り出した後、何も話し掛けてこないでラジオのボリュームを上げたり、時には口笛を吹いたりしながら、頭の中では何処を通って遠回りしてやろうかなど、よからぬ考えを働かせる。これから訪れる相手に住所を教えられた時には、「そんなに遠くないよ」と言われたにしては随分かかるな、と不安になり始める頃やっと「エモス・ジェガード(着きましたよ)」と言って、メーターを指で示す。住所を教えられたときに聞いた凡その料金よりも遥かに高いはずである。しかし、会話にならなくては喧嘩もできない。税金だと思って払うしかない。
  そこで、こうゆう羽目にならないようにするには、どうしたらよいかというと、乗り込むやいなや「ブエナス・タルデス(今日は)」とスペイン語で一言言う。客の方から挨拶するなど日本の常識ではおかしいと思うが、これは一般の店へ行っても同じで、日本語ではなくスペイン語だと殆ど抵抗なく口から出る。これによって半分は相手の機先を制する事ができたことになる。運転手も同じことをいうはずなので、間髪を入れず行き先を言う。とにかくこちらのペースに乗せて、言うべきことを先に言ってしまうことがこつである。
  行き先の言い方であるが、通常、碁盤目の通りの街では「A通りの何番地」と言うよりも、「A通りとB通り」という言い方が普通である。この言い方は「A通りとB通りの角」という意味で、目的地が正確に角ではなくても、1クアドロ(角から角まで)は多くが100メートルだから、目的の角に着いてから番地表示を見ながら少しずつ進めばよい。タクシー免許の取得には市内の道路名を全部知っている事が条件だと聞いたことがある。通りの名前を聞けばすぐにその場所が分かる仕組みになっている。角と言うことはT字路ないし四つ角のこだから、そこへの道順も三方向ないし四方向の中から選べるわけだ。しかし、「A通りの何番地」という言い方では、まずA通りに出そこから番地順に走らなければならない。市内の通りは殆ど一方通行だから、行き過ぎたら戻るのが大変である。運転手は、この客はスペイン語は分かるがブエノス・アイレスの人間ではないらしいので、少しくらい遠回りしても大丈夫だろうと考える。
  「A通りとB通り」と言われた運転手は、駄目を押すように「何処を通って行きましょうか」と尋ねるので、A通りとB通りまではスムースに言えても「何処を通って行くか」と聞かれて返事が出来なくては、先制攻撃に成功したとは言えない。後は良心的な運転手なら最短距離を行くだろうし、そうでないかもしれない。結果は着くまで分からない。一、ニ度でも行った所とか通った道だとか、或いは初めての場所でも市内の地理に通じてきたような場合には「どこを通れ」とか、「君にまかせるよ」と言って、いかにも市内は知っているんだぞ、と言う態度を見せておく。そしてラジオのボリュームを上げさせてタンゴを聞くとか、スペイン語に興味があれば早口のニュースとか天気予報でも聞いて、しばし耳の勉強をしていればよい。また、お喋りな運転手だったら大統領の人気とかインフレの行方とか、さらには日本をどう思うか、あるいは今でも有名人である、「裕仁(昭和天皇)」とか「アドミラル・東郷(東郷元帥)」の名前を知ってるかなど、他愛のない世間話でもしてやればもう完全で、逆にスペイン語が上手だなどとお世辞の一つも言われ、料金の半端はまけてくれる事もある。
 

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