No.2

2月20日(日)〈ハバナ滞在〉
  7時半に目覚まし。昨夜の疲れが残っている。朝食のブッフェで果物を沢山食べる。この時期に西瓜が腹一杯食べられるとはなんと幸福なことか。今日は市内とコヒマル海岸の観光。9時にガイドのエクトル君が来る。ハバナ大学で数か国語を学んだとか。日本語にも興味があるそうだが殆ど片言だ。キューバのスペイン語にはもちろんキューバ訛りがあるが問題はない。車はベンツのタクシ−だ。帽子を買いに海岸通りの小さな店に行く。友人に頼まれた古いレコ−ドを探すために、ハバナの観光ポイントの一つである有名な教会前の広場にうろうろしている若者に声をかけた。探して見てくれると言う。1704年建立のバロック式教会の内部を見学していると、さっきの若者が早速 古いレコ−ドを数枚持って現れた。1枚5ドルだと言う。
  教会のすぐ横に、以前テレビ番組で紹介された、アーネスト・ヘミングウエイが良く通ったと言うバ−”ボデギ−タ・デル・メディオ”がある。あいにく時間が早く閉まっていたので写真だけ撮る。世界遺産になったと言う旧ハバナ市街の典型的な通りを歩いていると、また別の男が古レコ−ドを持って自転車で追いかけて来た。折角なのでこれも買うことにし結局8枚買った。 また昨日のデパ−トへ立ち寄り、歩いて革命博物館へ行く。展示品はすべてカストロの革命の足跡ばかりだ。革命とは流血の歴史である。内戦のない日本は何と平和で幸せなことか改めて痛感する。カピトリオ周辺を歩き写真を撮る。建物の汚いのは民家だけではなく、政府機関も同様である。貧富の差のない社会主義とはやはり理想だけであって、現実はとても我々には受け入れられないもののようだ。
  郊外の
ヘミングウエイ博物館へ行く。かってヘミングエイが住んでいた家である。以前は自由に中が見られたようだが、遺品が盗まれるとかで、今では中には入れないし写真も撮れない。カメラを持った人間が中を除くと番人の女がじろっと見る。本が風呂場の中まで積んであるのに驚いた。ここを出てヘミングウエイの小説 ”老人と海” の舞台になったコヒマル海岸へ行く。ハバナ市内を走る大型のバスがある。通称”らくだ(駱駝)”と言う。真中が下がって前後が高く、丁度らくだの瘤のように見えるからだ。市内1ペソの均一料金なのでいつも満員だ。途中で写真を撮ろうとしたら、わざとゆっくり走ってくれた。
  コヒマルは、なんの変哲もない鄙びた海岸である。観光案内書には”テレッサ”と言うレストランが有名と出ているが、ここでまたも例の日本人の宗教団体に会う。気色が悪いのと、名物料理と称するものが魚介類なので、止めて市内に戻ることにした。コヒマルの海岸には
要塞跡があり、ヘミングウエイの胸像が丸いパンテオンの中に立っている。観光案内書にあるコヒマルの写真はここのものだ。ここで、喉を手術して声の出ないという老婆に出会った。妻が気の毒がり2ドル恵んでやったら大げさな身ぶりで感謝された。ここは市内から7kmほど東へ来た所で、途中に新しいマンションらしき建物も見える。昨日もくぐったトンネルを抜けて市内に戻り、これも前にテレビに紹介された個人経営のレストランに入り昼食にした。ウニオン・フランセッサ・デ・クーバと言う店だ。キューバ・フランス協会とでも言うのだろうか。初めてキュ−バの典型的料理を食べる。丁度日本の赤飯に似た豆の入った米のご飯と、鶏のブロイラ−にキュ−バ・ソ−スをかけたもの。これなら妻にもまあまあ食べられる。
  これもテレビに出たバ−・レストラン ”フロリディ−タ”に入り、キュ−バに来たらこれを飲まなくては、と言われる”ダイキリ”を注文。ラム酒に掻き氷を入れたものであるが甘くて少々強い。元NHKでラテンアメリカ音楽のディスクジョッキーをやっていた竹村淳さんがトークショーをやるレストラン・バーなどで飲むダイキリは氷が多くて水っぽい。カウンタ−の一番左奥の
ヘミングウエイの定席こは綱が張ってあって、誰も入れない場所だ。テレビ画面で藤竜也が格好をつけたポ−ズをとっていたが、そこへ座るだけで2000ドル位払ったとか、後でアルベルトさんが言っていた。3時半頃にホテルへ戻り一休み。夜9時からホテル内のキャバレ−”パリシエン”のショ−を見る。トロピカ−ナより若干セクシ−な踊りである。一番後ろの高い席なので写真をとるのには好都合。ペル−・ワルツの最大のヒット曲”にっけの花”(La flor de la canera) が聞けた。妻はハンサムな歌手にうっとりとなっていた。
  昨日今日と、ハバナを大体一巡りし、キュ−バの縮図を見ることができたが、ないものが多い。 すなはち、@2〜3階のアパ−トが多いが、各部屋には数脚の椅子とテレビとベッドだけで家具らしいものがない。A街には宣伝広告の類がない。エクトルに聞くと、競争がないから宣伝も必要ないからであって、競争は資本主義の象徴だと言われた。B乞食がいない。社会主義は貧富の差をなくすためのものだから確かに乞食がいてはまずい。しかし、実際は乞食同様の物乞がいるのも事実である。政府は最低生活保障として、1週間単位で卵、鶏肉、砂糖、塩、などを配給しているそうだ。C肉・野菜・果物などの専門店がない。所どころに色々な店が集まっている露天市場のような場所があって、人々が群がっている。D通りに犬がいない。食料が要るので貧乏人は飼わないからで、一寸とした階級の人は飼っているらしい。逆に沢山あるものは、燦々たる太陽の光りと 、古い米国製の大型自動車だ。米国と仲が悪いのに物の値段がすべてドル表示なのも面白い現象である。
  かって、キュ−バを訪問するにはカストロの生きている間でないとつまらないと言われたことがある。カストロが死んだら後継者は社会主義を守らずに米国と仲良くするだろう、そうなったらキュ−バは資本主義のなんの面白味もない、ただの貧乏な島国になってしまうからだ、と言うのがその理由だったが、2013年になる今、カストロはすでに現役を引退して実権は弟のラウル・カストロに譲られているが、やっぱりそのようになりつつあるようにも思える。世界には少なくなった社会主義体制は少しずつ変わって行くのだろう。資本主義の華やかな繁栄ぶりを見れば欲望を刺激されない人間はいない。もっともキューバの見所は景色や音楽なので、政治や社会体制は観光客には関係ないことかもしれない。


≪写真説明、上から: @ヘミングウエイの愛用のボート。Aトレーラー式バス、らくだのこぶのようなので”カメージョ(らくだ)と言う。Bヘミングウエイの小説”老人と海”の舞台になった漁村コヒマルには古い要塞跡が残っている。Cヘミングウエイがよく通ったレストラン・バー”フロリディータ”、奥の額が掛かっている席がヘミングウエイの専用だった席。≫

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