No.4 2月23日(水) 〈カンクン滞在〉 7時起床。タワ−専用のロビ−でアメリカ風の朝食。パンとコ−ヒ−、ジュ−ス類と果物だけである。ちょっと物足りないが果物が美味しい。とにかくどこへ行っても 果物、特に西瓜があるのが嬉しい。カンクンの突端に当たる芝の庭に下りる。カリブ海から吹きつける甘い香りのする風がきつく、海岸の白砂が目にまぶしい。濃い目のエメラルド色の海と実に素晴らしいコントラストである。この色を妻に見せたかったのだ。 街へ出てショッピング・センターへ。昨日とは別のセンターへ入ったが、たいしたことはないので、またカラコルに行き私のズホンとサンダルを買う。午後はショッピングと闘牛見物の予定なので、 ホテルへ戻りギャレリアを物色、サボテンの形をしたワイン・グラスを買う。カフェテリアで軽い食事。本場のタコスを注文した。タコスの皮のトルティ−ジャと中身が別々になっている。中身は牛肉と玉ねぎ、 ピ−マンを炒めたもので、ファヒ−トと言う。結構美味しい。 1時にガイドの岩佐さんが来る。ひょろりとした背の高い日焼けした30位の女の子である。この子は千葉ニュ−タウンの白井町の出身だと言う。先ず比較的新しいショッピング・ センタ−”ラ・イスラ”へ行く。ちょうどカンクン・シェラトンホテルの真ん前だ。シェラトン・ホテルは1981に来た時にはすでに出来ていた、カンクンでは老舗ホテルであるが、リニューアルしたのか奇麗になっていた。 娘婿たちと私のオ−プン・シャツを買う。そこから、妻の希望で下町のこれも新しいスーパーマーケットへ行き、ガイドの買い物を手伝ってやる。米国資本の店だけあって何んでも揃っている。 値段も安いようだ。パンにつけるチョコレ−トが約250円だ。ここから、闘牛場は5分もかからない。 いよいよ念願の闘牛見物である。 座布団を1枚2.5ドルで借り、日陰になる席を取る。3時に始まるが、客は100%外国から来た観光客なので、初めの1時間半ぐらいは踊りや曲芸や歌などのショ−でご機嫌をとり、その後、素人の若者が子牛を相手に ピンクの布をもって闘牛の真似をするが、これがなかなか迫力があり、子牛とは言え青年には危ない場面もある。これが終わり、いよいよ真打ちの闘牛は4時頃に始まる。まず大きな黒牛が飛び出してくる。 本物はスリルがあり、真迫の演技は観客を引きつける。しかし、しばしの間行きつ戻りつのせめぎ合いの後、首の後ろ辺りに長い剣を刺しこまれると、黒い毛に真っ赤な血がどくどくと流れ出し、 その上に短い槍を数本打ち込まれると段々と弱って行く。そしてマタドール(闘牛士)との長い闘争の末、最後に長い剣を心臓に突き刺されると、 しばし立ち止まり、前足をがくっと折り、後ろ足も折って座り込み、数秒すると、どさっと横に倒れる。何とも残酷なショ−である。マタド−ルが耳としっぽを切り取り、これを観客に投げる。これでショ−は終わる。 人間には、あらゆる動物の生命を奪っても良いと言う権利があるのだろうか。闘牛を見るのは1頭のショーだけで十分だと思う。妻も話の種には一度見ればもう沢山と言った。これがスペインなどの、現地人向けのもので、1回に5〜6頭も殺すのでは、観光客にはかえって残酷すぎて嫌悪感さえ持たれるかもしれない。5時半頃終わりホテルへ帰る。昨夜マリア・ボニ−タの予約をしたが、マリアッチはメキシコへ戻ってからも見られるし、 妻が風邪気味なので予約を取り消し、ル−ム・サ−ビスにピサを取り早めに就寝。 2月24日(木) 〈カンクン滞在〉 ロビーでの朝食の時、日本人ビジネス・マンと一緒になる。ホンダ技研のK.T.氏と言う。家は新検見川だそうだ。今回の旅では、どうゆう訳か千葉県の人に縁がある。 最初がレストラン山本の主人が銚子出身。次がガイドの岩佐さんが白井町の人。今度が新剣見川の住人。そして、この後グアテマラに行って4人目の千葉の人に会うことになる。その人は、グアテマラ人と結婚した女性で 、国道16号のやはり白井付近で中古自動車販売店を経営している人の娘だとか。こう千葉に縁のある人に何人も会うのは、どうゆう因縁なのであろうか。 今日は、マヤ遺跡のトゥルンと海浜公園シェルハ観光である。どちらも1981年の南北サミットの特別通信対策で滞在したとき、忙中に閑をみつけて行ってみた所だ。8時10分、ロビーで現地日系旅行社の女性ガイドに会う。体調が悪いとかで、旅行社の事務所で男性ガイド市原氏と交代。この男性も休暇を呼び出されたとか。ガイドが少なくみな休暇なしで働いているらしい。相客は大阪から来た日本人の新婚旅行客である。カンクンヘは米国乗り換えで途中泊がなくなり来やすくなったためか、新婚客が多くなったと言う。ここ数年の日本人 観光客の伸び率はトップだそうだが、それでも全体の1%程度だそうだ。 すっかり舗装されて開けた道をまっすぐに130km走り、トゥルン遺跡に着く。26年振りのトゥルンの周囲はすっかり変わっていた。昔はインディヘナの露店の土産物店が数店あっただけで、道は石がごろごろの埃っぽい道で、車から降りて大分歩いたような気がしたが、今では車で遺跡入り口 まで行ける。トゥルンは面積や遺跡建物の大きさなどはそれほど大きくないが、マヤの遺跡の中でも海に面している唯一の遺跡である。マヤの遺跡の形はどこも大体同じようなものなので、当初旅行社が勧めてくれたティカルはやめておいた。 カンクンからグアテマラへの途中で飛行機を降りて森林の中へ入らないといけないからだ。市原ガイドがマヤの歴史や不思議を滔々と説明してくれる。なかなか博識である。ここから、帰り道に当たるシェルハ海浜公園へ向かう。シェルハは海の水を直接引き込んでいる池のような作りで、水の色はカリブの本物の青さを保っている。ここも以前の記憶とはかなり違う。ここは、水に潜るのが目的の場所なので、外人女のぶくぶく太った醜塊な水着姿をいやと言う程見せつけられた。 新婚組も海に潜ると言う。岸を散歩して途中から引き返す。 木立の中には灰色をしたイグアナがあちこちに沢山いて、じーっとしたまま微動だにせずしゃがみこんでいる。ハンモックが自由に使える木陰があり、私は初めてハンモックとやらに横になる。すぐそばでマリンバの生演奏をやっているのが子守歌のように聞こえて、妻と共に うとうとしてしまった。売店でアイスクリ−ムを食べ、妻が執念のサボテンの形をした小型のワイン・グラスを見つけた。これで、カンクンのお土産は全部おしまい。新婚さんをホテルで降ろし、旅行社の事務所に戻り、明後日の飛行機のコンファ−ムを頼み、”山本”へ送ってもらう。今日も、お気に入りのラ−メン、揚げ豆腐、冷奴を始め、サラダ、お握りを食う。7時半ホテル着、風呂にゆっくり入り早めに就寝。 2月25日(金) 〈カンクン滞在〉 朝9時30分にロビ−で、一昨日のガイド岩佐さんに会う。今日は、私が以前から行きたいと思っていた、イスラ・ムヘ−レス(女の島)観光である。タクシ−でフェリ− が出るプエルト・リンダ港へ。全長20m位の高速船で、乗客全部が一つのツア−になっている。桟橋で写真屋の小母さんが、乗客の1組ごとに浮き袋を持たせて写真を取る。これは後になって、ラス・ベガスへ行った時、遊覧飛行機に乗る前に、係りの人が全員の写真を撮るので知ったのだが、万一遭難したときの乗客の顔写真になるものである。私のカメラでも撮ってもらおうとしたら 嫌な顔をしたので、ガイドに撮ってもらう、(あとで売りにきたので買ったが、割合良く撮れていた)。船は約40分で島に着く。船で簡単な朝食がでて飲み物は自由。 甲板ではサルサを踊る人達で大賑いだ。客の国を紹介しているが我々以外にも日本人がいるらしく、ハポン、ハポンと言う司会の声が聞こえてきた。ダイキリを飲むが、ここのは甘くて薄い。島に上がって1時間程自由時間がある。土産物屋をひやかし砂浜のビ−チ パラソルの陰に入って、椰子の実の上を削りストロ−で飲めるようにした”ココ・ロコ”と言うジュ−スを飲む。ジュ−スといってもラムが入っている。新宿のキュ−バ音楽を聞きに行くレストラン・バー、ココ・ロコの本当の名前はこの飲み物の ことだと分かった。ココとはココナッツ椰子のことだった。 レストランでバイキングの昼食がでる。皆ツア−料金に含まれている。妻がなにを食べたか記録がないが、蝿がぶんぶん飛んでいるので、多分ほとんど食べなかったと思う。食事が終わると、全員が ゴルフ・カ−トに乗り1列になって、イスラ・ムヘーレス島の南端まで行進する。私が運転する。南端には小さな灯台がある。昔スペイン人が最初に上陸した時は無人島で、女の姿が彫られた石碑が立っていたので、女の島と命名されたと現地ガイドが説明してくれた。また船着き場へ戻り、再び船に乗って島のセントロへ行く。小さな島なのに土産物屋がびっしり並んでいる。記念に陶製の壁掛けを1枚買う。5時頃朝の桟橋に帰ってきた。ホテルへは帰らず、”山本”へ直行した。 今日はオ−ナーが挨拶にでてきて、帰りのタクシー代を持たせてくれと言ったので、それに甘えることにしたが、妻が代金を余計においたので結局はちゃらになった。 ≪写真説明、上から: @米国系のスーパーマーケット、何でも揃い日本より安いと言う。A闘牛、開始して間もなく長い槍が体内深く刺し込まれる。B闘牛、心臓を刺され両足を折ってうずくまる、この後どさっと倒れ息絶える。Cトゥルン遺跡、マヤの遺跡の中で唯一海岸にある神殿。Dシェルハ海浜公園、海水が流れ込み自然にできた地形。Eイスラ・ムヘーレスの南端、マヤの遺跡があったという。≫ |
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