No.5

2月26日(土) 〈カンクン〜グアテマラ〉
  朝3時に目覚ましをかけておいた。今回の旅の中でもっともきつい日程である。グアテマラ行きの飛行機が6時10分と早いからだ。3時に起きて4時にホテルを出るのでは1泊が半泊の値打ちしかない。3時40分にチェク・アウト。空港には4時過ぎに着いたが、かなり寒い。チェックイン・カウンターでトランクを開け、長袖のシャツを出した。がらんとした空港だが、グアテマラ・シティ行きには結構客がいる。後で分かったのだが、これらの客はグアテマラ・シティまでは行かず、途中のフローレス空港で降り、ティカルの遺跡観光に行く人達である。またまた税金を2人で34ドル取られた。そのくせ出国スタンプを押してくれない。
  飛行機は6時10分の定刻に離陸し、7時15分グアテマラ共和国のフロ−レス空港に着いた。機内は一時がらがらになるが、また昨日の観光帰りの客で満席になる。乗り降りは蛇腹ではなくタラップだが、グアテマラ・シティへ直行する客は降ろしてくれない。08:05離陸し、たった30分でグアテマラ・シティに着いた。途中、窓からは幾つか
奇麗な姿をした山が見える。後で聞いたら、皆火山で、現在も噴火しているのがあると言う。グアテマラには富士山みたいな美しい山が20以上もあるのだ。富士山が世界一とはちょっとおこがましい気がした。
  グアテマラはさすがマヤ族の国で、インディヘナ(土着原住民の意味)が沢山いる。インディオとはコロンブスが初めてカリブ海の島を発見した時、アジアのインドに着いたと勘違いして、そこの人々をインド人と思いこみ”インディオ”と言ったのが始まりなので、現地でインディオというのは差別用語である。身長は160cm足らずで肌は栗色である。顔つきもペルーのインディヘナと同じようにアジア系で、日本人とどこか共通点があるようにも見えた。
  グアテマラは、 北半球なので今は初夏であるが、メキシコよりも暖かく、ハカランダがあちこちで咲き誇っている。懐かしい花である。空港は市内にあり,これから宿泊するマリオット・ホテルとも目と鼻の間だ。マリオット・ホテルはロビーも広く、なかなか格式の高いホテルである。計画段階で、初めて利用することになるホテルは、ガイドブックにあるホテル案内だけを見て決めるので、着いてみるまではどんなホテルか心配なものだ。まだ午前中の早い時間なのでチェックインできるかどうか心配した。幸い空き部屋があったが、窓からの景色は良くない。エレベータに乗るにも部屋のカード式のキーが必要だ。ロビーで遺跡めぐりツアーの日本人の中高年の小母さん連中に会う。中に和服の人がいたのにはびっくり。12日間でグアテマラと隣国のオンデューラスの遺跡だけを見るツアーで、発つ前に新聞で見て、こんなツアーに参加する人がいるんだろうかと思ったが、やっぱりいるもんである。まだ、朝食の時間なので、ブッフェで朝昼兼用の食事をとり、まずホテル内のギャレリアを見る。妻は茶色い木綿のTシャツを5枚も買う。
  タクシーで中央市場へ行ってみた。この辺は
政庁とか教会などがある政治の中心部だ。市場の中は上野のアメ横の十倍位の広さで、迷路のようになっている。地下が食料品市場で、上階は殆どが民芸品を売る店だ。運転手に案内とガードをしてもらう。インディヘナの手作り刺繍のテーブル・センターなどの布製品や人形類が多い。1軒の綺麗な織物店をみつけ妻はそこでテーブル・センターを17枚まとめて買い、私は壁掛けを1枚買った。市内はハカランダを始め、ブーゲンビリア、ゼラニューム、それに名前の分からない奇麗な花が咲き誇り美しい。建物は古いのや汚いのが沢山あるが、それでもキューバと比べ社会インフラは遥かに良い。例えば信号機も見やすくできているし、横断歩道にもちゃんと白いゼブラ模様が書いてある。適当な間隔で屑篭もあり舗装もまあまあだ。ホテルで200ドル両替しようとしたら50ドルしかないと言う。200ドルは大金なのだろうか。さっきの売店に再び入り、並べてあるグアテマラ・コーヒー7袋を全部買ってしまった。部屋のカード式キーが具合悪く取り替えてもらう。夕食はブッフェにした.

2月27日(日) 〈グアテマラ・シティ〜アティトラン湖〜チチカステナンゴ〉
  朝7時、クラー−ク・ツアーのガイド兼運転手マリオ・ペレス君がくる。いきなり日本語で挨拶されちょっとびっくり。彼は、メキシコ人の父とグアテマラ人の母親を持つグアテマラ人だが、日本に10年も滞在して日本語を勉強し、輸出業をやったり築地魚河岸で働いたとかで日本人の女性と結婚している。道理で日本がぺらぺらな筈だ。顔つきも何となくアジア人である。ここのガイドは現地人でスペイン語だけだと思っていたが大助かり。ガイドの自前の4輪駆動車でパナメリカーナ・ハイウエーを一度北に向かい、その後西に150km、一路アティトラン湖を目指す。 観光案内書には「世界一美しい湖」となっている。標高2000m位の湖を見下ろすソローラと言う町から、500m程下の湖岸の町パナハッチェルへ向かう。世界一はどうかとしても見事なことはたしかだ。下り道の途中に展望台があり、湖を通して右に”サンペドロ山” 左に”トリマン山” その陰に”アティトラン山”が
円錐型の実に見事な姿を見せている。いずれも3000mを越す山々である。一つだけだと伊香保の榛名湖と榛名富士を彷彿させる。湖岸には立派なホテルがありトイレ休憩。モータ−ボートを60ドルでチャータし湖面を疾走した。湖岸には別荘がいくつもあり芝生の庭には見事な花が咲いている。住人はこんな静かな所で何をしているのだろうか。時計が止まってしまいそうだ。水の中から温泉が湧き出している所もある。
  まずサンタ・カタリーナ・パロポと言う村に上陸。桟橋付近では女達が長葱を洗っている。着ているのは、ウイピルと言う半纏みたいなものだが、その紫がかった青色が何とも言えない美しさである。
路上で布を織っているところを見ていると、子供がしつこく売りつけるので見事な織物を1枚買う。青いウイピルを着たインディヘナの女達と、ハカランダの紫とブーゲンビリアの赤い花とが重なった光景は、日本では絶対に見られない絶妙な被写体である。再びボートを走らせ、サンアントニオ・パロポへ着く。ここは男達がスカートをはいている。小さな粗末な陶芸工房で妻が梟の人形を見つけた。ここでもあるだけ7つを買ってしまった。マリオの知っている織物を織る家に入り、炊事場を見せてもらった。ペルーのインディオの家と同じようでとても暗い。再びパナハッチェルへ戻り、1時間程4輪駆動を飛ばして目的地チチカステナンゴに着いた。
  今日は日曜日、ここの
日曜市を見るために日程を合わせたのである。ここもまたグアテマラ・シティの中央市場の屋根のないようなもので、町の中の通りがみな露店になっている。売っているものは、やはり刺繍をした民芸品が中心である。マリオの知人が経営している、露店ではないちゃんとした店に連れて行ってくれた。ここでは、手刺繍の布に革を使った見事な鞄を二つとクッションのかわを幾枚か買った。私の帽子のリボンをサ−ビスに貰う。後にあちこちで同じような物を見たが、ここのが結局一番安かった。妻も大満足のようだった。峠のような場所にあるホテル・マヤ・インのレストランで昼食。グアテマラの伝統的料理を注文。黒豆をすりつぶしたようなもの、チョリッソ、牛肉とポ−ジョの焼いたの、チーズ、キャベツの盛り合わせで、一人前を半分づつにして貰う。それでも結構多い。ホテルの中庭は花壇のようで、ここにもいろいろな花が咲き乱れている。 庭ではマリンバの生演奏があり、そばの木には極彩色の羽を持った数羽のインコが愛敬を振り撒いている。夕食は特に食べずに、ロビーでマリオの友人の運転手を交え、サンドイッチなどを食べながら、ブランデーのような香りのするグアテマラの地酒”サカパ・センテナリオ”を試飲しお喋りをする。かなり強い酒である。グアテマラが胡麻の輸出国で、世界中のマクドナルドのパンの胡麻はグアテマラ産だと自慢していた。日本の胡麻もグアテマラ産が使われているかもしれない。

  ここのホテルで、今までの旅行で一度も経験をしなかったことをいくつか体験した。それは、部屋に鍵がないこと、朝晩の気温差が10度以上もあるのに、暖房設備が薪の暖炉だけであること、それに、テレビも電話もないことである。鍵のないのは、それだけ人間が素朴で治安が良い証拠かもしれないが、やはり落ち着かないものだ。ロの字形に建てられたホテルの入り口には、一晩中インディヘナの男が見張り番をしている。彼らは半ズボンのマヤの伝統的服装だが、陽が落ちるころからぐっと気温が下がるのに寒くないのだろうか。夕方になって男が暖炉に火を入れてくれた。薪は松をからからに乾燥させたもので、すぐ火がつき良く燃える。暖炉で暖まったのは初めての経験だが、すぐに暖かくなり結構使い易い。しかし意外に薪を必要とし、ちょくちょくくべなくてなはらないので一晩中火を絶やさないようにすることは不可能だ。暖かいうちに眠ってしまわなくてはならない。風邪をこじらせるといけないのでシャワ−は止めた。ホテル周辺は実に静かで、この夜一晩、別世界を感じたような気がしたものだ。


2月28日(月) 〈チチカステナンゴ〜アンティグア〜グアテマラ・シティ〉
  昨日の喧騒が嘘のように静かな朝である。市内を埋め尽くしていた市(いち)は跡形もない。寒いので昨夜はホテルのオーナーにセーターを借り、靴下を履いて寝た。妻も重ね着をしていた。風邪のぶり返しが怖い。明け方寒さが一段と厳しく なってきたの2で、モッソに薪を持ってきて貰おうとベルを押したが通じない。洗面所の電気が消えているので電気が切れていると分かった。夜中には節電のため元スイッチを切るのか、と思ったがそうではなくて停電だったそうだ。8時半朝食。メニュ−は一つ一つづつ注文するやり方だ。インディヘナのモッソは半ズボンなので寒そうだ。今日は、かっての首都だったアンティグアを見物する。
  アンティグアは街全体が世界遺産になっている。小さな街だがこじんまりとまとまった学生の街という感じだ。時間のせいか学生がうじゃうじゃ歩いたり、たむろしてお喋りしたりしている。妻が女の子達に折り紙の鶴の折り方を教えてやる。外人向けのスペイン語学校が沢山あるので日本人らしい女の子を見かけた。我々に気がついているのかどうか、知らん顔をしているのが小憎らしい。街のどこからでも見えるアグア火山が、昨日の火山群にも負けずに美しい姿を見せている。そして、ここもまた満開のハカランダが見事な風景を作り出している。
  ここの観光は1773年の大地震で壊滅した修道院の廃墟を見ることに尽きる。サンタ・クララ女子修道院と サンフランシスコ男子修道院は壊れたまま殆ど修復されていない。古い修道院跡のホテルのレストランで昼食。タコスのようなものを注文したが、山羊のうんこのようなころころした肉が入っていた。グアテマラ各地の民族衣装の博物館を見学する。帰途の途中に、木綿のセータなどを売る店を見つけ、妻はサマーセータとチョッキを買う。妻にスカーフをサービスに呉れた。外国では珍しいことである。パナメリカーノ・ハイウエーは割合よく整備されているが、カーブの多い道をマリオは120kmで飛ばすので冷や冷やしどおしだった。妻の風邪は何とか良くなったが、下痢と鼻血がしばしば出るのが心配。グアテマラ・シティのホテルに戻り一昨日よりも上の階の部屋にしてもらう。6階になり見晴らしが大分良くなった。ゆっくり風呂につかり頭を洗い一休み。7時半にマリオが日本人の奥さんを連れてやって来た。眉毛の薄い目の細い、悪いが余り器量は良くない。海外青年協力隊で派遣されている時に知り会ったらしい。JICAの現地事務所に勤めているとか。先にも書いたが、この人も千葉の白井町付近の出身である。マリオが推薦する日本食レストラン”蘭”へ行く。豆腐、天ぷらそばなどの味はまあまあだが、自慢のセビッチェは紫蘇のような葉っぱの匂いが嫌でマリオにやった。彼は旨そうにきれに平らげてしまった。
                                                                  
≪写真説明、上から: @遠方の二つの峰はサンペドロ、トゥリマン火山、手前グアテマラ市街。A市場の中の小奇麗な民芸織物店。B政庁舎。Cアティトラン湖と周辺の火山。D湖畔のサンタ・カタリーナ・パロポ村の路上で布を織る女性、この村の特徴は見事な青色である。Eチチカステナンゴの美しいホテルの中庭。FG毎日曜日に開かれるチチカステナンゴ町の露天市≫

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