ラテン・アメリカ人の人間生態学 その六 【洋の東西を問わず、地獄の沙汰は金次第である】 この節、またまた、”定年後に外国で暮らす”と言う,人生が薔薇色に見える話が復活してきたようだ。少ない年金を出来るだけ有効に活用して、少しでも贅沢に暮らしたいと思うのは、人間として当然の欲望であり、それが、外国なら満たされると知ったら、誰でも心を動かされるであろう。ところがである。外国とは、『パック・ツアーで、せいぜい十日間位駆け足で回ってきた程度の知識しか持っていない人達が、年金だけで十分に、多少の贅沢もしながら暮らせる』、などとお金のことばかり考えて、その気になるのだけは止めた方がいいと忠告したい。それでもするのならば、日本の自宅は絶対に手離さずにおき、行き先ではコンドミアムとか滞在型アパートなどを借りて、長期滞在形式で暮らすのが一番いい。私は妻と娘と一緒に、必ず日本へ帰ることができるという保障付きの身分で、アルゼンチンに4年ほど住んだ。しかし、これが片道キップで来た移住だったら、どんなに心細いことかと思った。定年後外国で住みたいと願う多くの日本人が目をつける、東南アジアや大洋州の国々とアルゼンチンとは、条件がかなり違うが、共通している事項も沢山ある。 まず、薬と医者の問題である。日本のように、どこかが痛いとかちょっと風邪引いたようだとかで、近所の薬屋にいって、薬剤師に症状を話して、適当な薬を買うと言うことは出来ない。医薬分業だから、薬屋は処方箋がなければ売ってくれない(栄養剤のような極一部の薬を除いて)。医者に駆け込んでも症状を説明するのが、これまた大変である。たとえば”お腹が痛い”と訴える場合、ちくちく、ずきずき、しくしく、ずんずん、差し込む、うずく、などなど、”痛い”にも何種類もある。これらの日本語を適切な現地言葉に訳せなければ、いつまでも痛い痛いと転げ回っていなくてはならない。 また、消化不良を起こして、医者に処方箋を書いて貰い薬屋に行くが、消化剤一つとっても、構成成分が日本とは違う。たとえば、日本の主食は米、麦なので、薬は澱粉質や含水炭素に効く成分で出来ている。一方アルゼンチンの主食は肉なので、蛋白質に効くようにできている。しかも錠剤の大きさが、日本の胃腸薬より二、三倍は大きい。 言葉の問題は最も切実である。英語が出来れば何とかなるさ、というのは、とんだ思い上がりである。勿論昔に比べると英語の普及は何処の国も かなり進んではいるが、スペイン語圏やフランス語圏は、まだまだ一般には英語は通じない(そのほかの言語圏は知らないのでなんとも言えない)。 南米のように人種の坩堝と言われる大陸では、肌の色や体格の大小などで、その人を識別などしない。その国にいる人は皆その国の人であり、自分達の国の言葉を喋るのが当たり前だと思っている。だから、肉屋へ行っても八百屋へ行っても、外国人扱いなど全くしてくれない。現地の人に話すのと同じように”ぺらぺらぺら”とやられる。一度ショックを受けてしまうと、なかなか立ち直れないものである。 移住者のように、片道キップで渡ってきて、命を埋める覚悟で暮らし始め た人達が、歯を食いしばって生活に慣れようと努力するのと違い、現役当時の 肩書きやプライドを捨てきれない、にわか滞在人種にとっては、事前に承知して いたつもりだったカルチャーショックが、想像以上に大きいのに戸惑い、それが ストレスになってしまう人もいる。現役の駐在員時代にもこの種の話はいくつも あった。最悪は自殺のケースから、逃げるように帰国する人もいた。ただし、現役 駐在員の場合は殆ど一般には明らかにされない。会社が領事館に届けるだけで、 秘密にしてしまうので、日本の新聞などには伝わらないからである。 一九九〇年前後にスペインへ長期滞在型が移住型かで、大勢の熟年の日本人が渡った話を聞いたことがある。1999年、まだ元気溌剌としていた私達夫婦は、気ままにアンダルシーア地方を歩きまわった。白い家の町で有名なミハスに寄ったとき、若い日本人カップル(夫婦ではないと言っていた)が経営している寿司屋に入ってお喋りしたとき、”あの頃にスペインへやってきた日本の老人達は殆ど帰国されましたよ”、と聞かされた。理由は色々あるのだろうが、定年後の外国暮らしは思った以上に難しいもののようである ★・・ ブエノス・アイレスの有名な観光地区、ラ・ボカには、信仰に関係なく、死んだら「楽園」に行くことを保障してくれる教会がある。イケメンのイタリア人の若い神父が司祭をしていて、貧乏人の子供達大勢を面倒みているのだが、お金を寄付して、”楽園に行きたいのだが”と言うと、即座に、”今からすぐ手続きをする。安心してください”と約束してくれる。ただし、"行った人 の話??" では、金額が少ないと、楽園の入り口までしか行けないことがあると言う。 |