ラテン・アメリカ雑感    (1)
  ”ハイチ大地震を悼み、薄れ行く南米の影を追う”

  2010年の年明け早々、 ラテン・アメリカ地域(注)でまた大きな地震が起きた。ハイチ大地震である。首都ポルトープランス(Port Au Prince)が地図の上から消えるかもしれない。首都の西南に東西に伸びる、260年前に発見されたエンリキロ断層がずれたのである。この国はコロンブスによってよって発見されたエスパニョーラ島の東半分を占める。フランス人 が入植してきて実質的にフランス領のようになり、1795年にスペインがフランスに譲渡した。その後、1804年にフランスから独立した。これがラテン・アメリカで最初の独立国である。このため、周囲がスペイン語の国々に囲まれていながらここはフランス語が国語である
  90%が黒人で残りも黒人との混血である。18世紀に活発に行われた奴隷貿易の中継地で、アフリカ西海岸の国々で野生動物同様に捕まえられ、連れてこられた黒人の集積場であった。ここから、スペイン が支配していた国々の要求に応じて送り出され、現地で”せり”にかけられて酷使されたのである。とても人間の扱いではない。そのような状態の国だったので、独立機運が高まっても宗主国のフランスは 脅威にはなるまいと思って何も言わなかったと言われる。その結果、ラテン・アメリカ地域で一番早く独立した国になったにも関わらず、今でもラテン・アメリカの中で最貧国のひとつである。一方、貧乏とは裏腹に現在もアフリカ文化が色濃く残っている。
  (注)ラテン・アメリカという定義に含まれるのは、メキシコを含む中米、カリブ海諸島、南米大陸の国々でスペイン語かポルトガル語を話し、ラテン文化を継承している国々である。フランス語をラテン系の言語に含めると、 ハイティ、グアドルペ、マルティニク、仏領ギアナなどが含まれる。ただ、フランス系住民が30%もいるカナダは一般的にはラテン・アメリカには入らない。 英語圏のジャマイカ、ベリーズ、スリナムおよび小さな島々はラテンと言うのは難しい。しかし、中南米と言う場合は、言語、文化に関係なく、地理的に中米、南米 、カリブ海諸国を言う。メキシコは地理的には北米であるが、中南米という場合でも、ラテン・アメリカという場合でも、どちらの場合にも含まれる。
   
 ポルトープランスは人口約90万の小さな都市で、今度の地震は典型的な首都直下型 地震であった。もう少し西にずれていたらキューバが大変だったろう。テレビの映像を見ても分かるように建物は貧弱な構造で、崩れた柱には鉄骨はおろか鉄筋もろくに入っていない。あんなんじゃ ペルー地震の例ではないが、大きな地震にはひとたまりもあるまい。その上昨年は1年間で4回も大きなハリケーンに襲われた。気の毒な国である。位置が亜熱帯にあり1〜2月でも日本の真夏のような服装で過ごせるのがせめてもの幸いである。大統領府も崩れたし多くの省庁の建物もやられたようだ。国の行政機能が麻痺し、いつになったら 復興するかなど皆目見当もつかないだろう。すべては先進国の援助頼みである。瓦礫を片付けて再建するより、ブラジリアのように、近くに新たに街を作った方が早いし安上がりかもしれない。

  最近はテレビ番組の中でラテン・アメリカに関するドキュメンタリーや旅行記などが随分と増えた。でもまだまだアジアや欧米ものに比べれば少ないものだ。ましてやハイチなどは、普段は我々の常識では全く注目されない国である。せいぜい、たまにコーヒー屋さんの店頭のケース の銘柄で見ることがあるくらいだ。今年は ワールドカップがあるので、いやでもラテン・アメリカの強豪国の名前がテレビや新聞で踊るだろう。それでもハイチは蚊帳の外だ。
  近年ラテン・アメリカにはナショナリズムに支えられた反米主義の指導者がぞろぞろ出てきた、有名なのがベネズエラのチャベス大統領だ。彼は自分達の独自性を誇示するために 国名などを変えた。「ベネスエラ共和国」を
 「ベネスエラ・ボリーバル共和国 (Bolivarian Republic of Venezuela)」 と変え、ついでに国旗のデザインまで変えてしまった。もっとも国名が変われば国旗のデザインも変わって当然かもしれないが。チャベス大統領は、ベネスエラの世界遺産であるエンジェル(アンフェル)の滝も、1930年代に米国人ジェームス・エンジェルがこの滝を発見するずっと前から我々のものだったと言って、記者発表する会見場で数分間も発音を練習したと言う、現地人の言葉の難しい読み方に変えてしまった、世界最大と言われる1000米の落差を誇る滝である。その名は 「ケレパクパイ・メル (Kerepakupai Meru)」と言う。地球上には ”世界3大・・・・・” という例は多いが、滝にも世界3大瀑布というのがあるが、それは、@イグアスー Aナイヤガラ Bビクトリア であって、何故かこのエンジェルは入れて貰えない。世界中の地図に載っている「エンジェルの滝」の名称を一瞬に変えることができる力は凄い。でも、やっぱり長年親しんできたエンジェルに代わって、このややこしい名前が親しまれるようになるには、これと同等の年月が必要だろう。
  一方の反米主義者ボリビアのモラーレス大統領は、自身の出自を強調するためか 「ボリービア共和国」を
「ボリービア多民族国(Plurinational State of Bolivia)」 と変えた。


   日本だって、どこかで交通事故があった、火事で焼死者がでた、泥棒や強盗が入った、などはローカル・ニュースとしてまとめて小さく報道されるけど、これらが外国まで流れることはまずない。だから外国人は日本には犯罪がないと思っているかもしれない。その逆に我々も外国の日常の小さな犯罪は知る術がない。インターネットで見てもそんな些細な出来事は出てこない。ところがブエノス・アイレスのに住む友人から、つい最近届いた手紙によれば、アルゼンチンでも日常的な犯罪が多発しているという。曰く、自動車のあるところ事故はつきものだと言って、事故発生件数自称世界一だと自嘲気味に報じている新聞があるとか、7,8歳から15,16歳までの少年によるピストル犯罪が多く、影で大人が操っていて自動車1台盗んでくると麻薬を40箱もらえるとか、盗んだ自動車は全部解体されて中古部品として売られるとか、未成年は殺人事件を起しても24時間の拘束で親に返されるので警官もばかばかしくて戦意がなくなっているとか、などなど。

  ハイティからだんだん南に思いが飛んでブエノス・アイレスまで達した。”月日の経過” に化粧された懐かしい思い出を探して、小さな出来事に昔の街角を思い浮かべているとき、小じわのよった素顔の現実が飛び込んでくる。これが一段と望郷の念を駆り立てる。しかし、足腰が弱り、胸の手術をした身には、今ひとたびの飛行機に乗る長旅は絶望的である。気候の便りに季節の移ろいを思い出しながら、だんだん遠くなっていくアルゼンチン、そして目蓋に焼きついた南米の山野を、ただただ追っている。  
 
【写真:ベネズエラのエンジェル(ケレパクパイ・メル)の滝】

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