ラテン・アメリカ雑感 (4) エセ・ワイン通にご用心 人間は齢八十も過ぎようという言う頃になると、暴力は別として、世の中に怖いものがなくなってくる。特に、口から出る”言葉”については、それまでの”生き様”から自然に形成された自分だけの哲学のようなものに裏付けられ、他人に何と言われようとも、〈俺はこう思う ”文句あるか”〉 といった頑固さが表に出て、ちっとも怖くなくなる。それどころか、他人のことに逆に口を出したくなるから厄介である。 ワインに関する雑誌が色々と発行されている。いずれも綺麗なカラー写真が沢山掲載されていて見てくれは楽しい本であるが、中味に重大は欠陥があるものもある。先日二つの雑誌について、アルゼンチンワインに関する記事が全くないことと、韓国や中国などと一緒にされ”その他のワイン”として扱われていることに気がついた。本屋の店頭で立ち読みして、怒りが一遍に頭にきた。私はアルゼンチンに馴染みが深いので、あの国を身びいきすることはあるが、世間一般でもアルゼンチンと言えば、タンゴ、サッカー、ワインとくるのが大方の常識だと思う。アルゼンチンワインを知らないでワインの本を書くなんて、執筆者が自らの無知をさらけだし、編集担当者もそれに気が付かないと言う、二重の過ちを犯しているわけだ。出版社にはアルゼンチンワインの名誉と誇りのために、帰宅してすぐメールで断固として抗議した。1社からはすぐに返事がきた。文面は平身低頭と言う感じであるが、本心はどうなのかは分からない。もう一つの雑誌の、”その他のワイン”には、中国、メキシコ、エジプト、ペルー、韓国などの国が入っている。葡萄は地球の南北緯度20度〜40度の間ならどこでもできる。そもそもは、猿が食べ残した葡萄を木の洞においておいたのが自然に発酵してワインになったのを人間が発見したという説が有力である。自分たちだけで飲むために醸っているような国々とアルゼンチンを一緒にするのは、あかたも、小学生の作文と芥川賞受賞作品を同列に語るようなものだ。素人のくせにワイン通ぶっているのは許せない。以前、ワインのエティケッタ(ラベル)の文字はフランス語かイタリヤ語じゃないと本物じゃない、などと言ったソムリエがいると言う話を聞いたことがある。これも失礼も甚だしい。この他にも、全く違う意味の言葉が書いてあるラベルを、無理にタンゴと読ませて情熱的なワインだと宣伝する商魂たくましい業者もいる。ついメールと言う便利な媒体を利用して”文句”を言う。こうした出来事は年寄りの一徹といわれればそうかもしれない。妻にはしょっちゅうたしなめられているが、咽喉元まで出かかった言葉は出してしまわないと納まらないのは、どなたも経験があろう。出してしまうか、ぐっと飲み込んで納めてしまうかがストレスになるかならないかの境目で、飲み込んでもストレスにならないようにできる人は長生すると思う。 閑話休題 北アフリカから始まったイスラム諸国の革命が中東のシリアで途方もなり戦争になっている。北アフリカはなんとか政治が安定しているような感じがしていたが、やっぱり何かがあった。そうゆう意味では、私は、国民の本質を他の国よりは多少は知っているつもりの中南米諸国の方が、今の現状だとやっぱり、アフリカや中央アジアの旧ソ連領や、東南アジア諸国よりは安定しているように思える。その理由は、上記の国々よりも形の上では民主化が進んでいるからである。キューバを除いてみな自由経済の国だ。それぞれ国内にいろんな問題を抱えてはいるが、反政府活動を武力に訴えるようなことはしない。長年対立し合っていたコロンビアだって和平の兆しが見えてきている。過激な反米行動をとるベネスエラだって、ちゃんと選挙で選ばれた大統領だし、ボリビアもまたしかりである。中南米の国々の首長は皆選挙で選ばれている。イスラムの王様達のように、国は俺の物だなんて威張っている国はない。民主主義に対する民度から言ったら南米とアフリカなどとは数十年以上も違うかもしれない。 北アフリカ、この言葉を聞いたとき、行ったことがある人には強い思い出が甦り、行ったことがない人達も、なんとなくロマンのあふれた郷愁のようなものを感じるのではないだろうか。それはそのはずで、人それぞれに、紀元前にフェニキア人の都市国家カルタゴの英雄ハンニバルが活躍した第二次ポエニ戦争を・・・、またある人は、70年前の1942年(昭和17年)製作の映画「カサブランカ」で、ハンブリーボガートがバーバリーのトレンチコートの襟を立て、イングリット・バーグマンを抱き寄せるシーンを・・・・、またある人は、古い歌手エト・国枝が歌う”カスバの女”を聞いて、白いカンカン帽をかぶった格好いい外人部隊が活躍する場面を・・・、そして、第二次大戦に、砂漠の狐と言われたドイツのロンメル機甲軍団が、イギリス、フランス軍を相手に北アフリカのサハラ砂漠を縦横無尽に暴れ回った話を・・・、また別の人は、同時代の話で、小説「星の王子様」の作者サン・テグジュペリが砂漠に不時着しこの小説の構想を練った話を・・・、さらに、ぐっと時代が下った話題では、フランス、スペイン、ポルトガルそして北アフリカの15か国以上を回るパリ〜ダカール・ラリー(2009年からアルゼンチンとチリ両国に舞台が変わった)の危険で勇ましい話を・・・想い浮かべるからではないだろうか。 ことほど左様に北アフリカには話題が多い。私は、アフリカには一度も行ったことがないが (スペインへ旅したとき、たまたま天気の良い日にアンダルシーアの丘の上からアフリカ大陸を遠望したことがあるだけであるが) なんとなく北アフリカという地域に、憧れにも似たような感情を掻き立てられて仕方がない。政治情勢とか国内治安などの点は別にして。 |
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